2010年10月アーカイブ

何げなく眺めていたBSワールドニュースで、こんなことを言っていた。
エジプトの博物館は創立100年を祝うために、
7年くらい前から修復工事をしていて、ようやく完了したらしいのだけれど、
創立100年を祝うのが100年目であっても、105年目であっても、
どちらでも良いんですというようなことを言っていて、
すごいと思った。
5年の歳月など、エジプトでは大したものではないのだ。
105年目に祝うことについて、さらっと言えてしまう、
一見、怠惰とも見える、そのゆるりとした空気、
魅力的だなと思う。

そして、来年のカレンダーにまだ着手できずにいて、
おそらく作り始めてしまえば、すぐに完成しそうだと思うものの、
元旦に間に合うだろうかと、もそろもそろ思う。
でも、それでも、着実に立ち上がって、前進しているように思うのだ。
もう、ほふくではない。
思っていることをまとめて、話そうとするも、まとまらず、
ふがふがと、もごもごと心の中に残っていて、それはやはり、私の中で起こっている、
重要なことに違いないので、忘れないうちに記しておく。
火曜にスポーツクラブへ行き、数日サボってしまったので、爽やかに走る。
サウナで尻餅をつき、体の右半分の節々にあざをこしらえる。
尻が痛いと思いながら、本屋へ行き、やはり、本を読まなくては、
バランス良く読むことが大事なのだ、でも、どの本を読みたいか、うんうんうんと悩み、
最近読んでいない類の本を探す。
で、手に取ったのがジャック・デリダの『絵葉書Ⅰ』。
3センチほどある厚み、重み、本としての存在感、
冒頭はこんな言葉で始まる。

  「そう、君の言うとおりだった、私たちは、これ以降、今日、今、
  一瞬ごとに、絵葉書上のこの点において、私たちが互いに言い、行い、
  書き送ったことの、「引き取り手のない」〔納品を拒否された〕、
  ちっぽけな残滓にすぎない。」

そして、ぱらぱらとめくったページにこんな言葉が書いてあった。

  「もう思い出せない、だが、私が間違っていた。
  結局のところ―君のために、君に対して―私が自分に与えなかったものは、
  もともと私には委ねられていなかったのだ、という考えは。」

この本を、こんな風に、読みたい部分だけ、読んでいって、閉じる、
読んで閉じる、その繰り返しで、最終的に、もう一つの絵葉書Ⅰが私の中で
再構成されるとしたら、素敵なんじゃないか。
おそらく、そういう読み方はしないだろうと思ったけれど、
いつかはするかもしれないし、その素敵であるという雰囲気に吸い寄せられて、
4000円の本を思い切って買う。
いつ、文が終わるのか、文が終わってからも、何か分からなさが残る、
読んでいるだけで眠くなる、読んでいながらにして、読んでいない、
でも、徐々に蓄積していく物語の残滓が、きっと美しいものに違いない。
そう思ったのだった。
一週間のヴァカンスへ突入し、勇んで最寄のツタヤへ自転車を走らせる。
5枚で1000円というサービス、いつも、どうにかならないものかと思うものの、
一週間に3枚見たくとも、5枚借りる方が安いので、結局5枚借りることになる。
5枚借りたのだからと、一生懸命見てしまうのだった。
昨夜立て続けに鑑賞した映画の主人公の名字が、両方ともブラドックでびっくりする。
片方はダスティン・ホフマンで、もう片方はスカーレット・ヨハンソン。
どちらも若い。
去年の冬に那須で見て、冒頭15分でビデオデッキの故障で画面真っ暗になり、
続きを見られずにいた「卒業」。
私もホフマンのように卒業したいと歌ったけれど、
果たして、そんな感じでは全然ないのじゃないかと思う。
卒業したのに、昼間からプールで水にぷかぷか浮いて、知り合いのおばさんと
情事を重ねる。
で、知り合いのおばさんの娘が来たら、好きになっちゃって、結婚するのだと
言うのだけれど、これは「ノルウェイの森」みたいだと思ったのだった。
まさしく、不安定さを伴ったある特定の時代を物語る。
ガーファンクルたちの歌も、不安定な雰囲気をよく出していて、
なるほどと思ったのだった。
姉が大学受験の時に、父が姉に書いた手紙に、進路のことについて書きながら、
ガーファンクルたちの歌のことを例えに挙げていて、
内容そのものはほぼ忘れてしまったけれど、
その歌のことは印象に残っていて、まさにそういう、未来を選択する自由があるのに、
でも、選択するということはとても不安なことなのだということを説明するのには、
最もな歌なのかもしれないと今になって、思う。
そういう不安定さの時代を演じるホフマン、嫌らしい感じがしなくて、
やりすぎでもやらなさすぎでもなく、素敵だなと思う。
思い返してみると、今のホフマンも、嫌らしいところ、あんまりなくて、
結構、良い人なんじゃないかと思う。
あの時代、ガス・ヴァン・サントはとても気になる監督で、
今考えてみると、彼の映画が好きであっても、そのCDを買う必要は
どこにもなかったように思う。
確か、私がまだ10代で、たぶん、何かのフェアみたいな青空の下、
油絵で黄色い畑が描かれたCDを手に取って、胸が高鳴ったのを覚えている。
客観的に考えても、世の中に流通している量が明らかに少ないと思われる一枚。
音楽性の未完成は予見できたものの、私はその黄色いCDを携えて帰ってきた。
そしてその予想通り、ひどい歌だった。
そのひどい歌が約10年経ち、愛着のあるものに生まれ変わる。
ママ、キャント、ウォーオック!と歌うガスを、
突拍子もなく挿入されたアンド!のシャウトを、
ワンデーエエエーイと弛緩した余韻を、
愛らしく思う日がやって来るとは!
きっと、この歌を歌ったガスと私は今、同年代だぜーっつと思う。
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あいこぱ。フランス文学研究から大いなる逃亡後、あっちへふらふらこっちへふらふら。趣味は読書と映画鑑賞。 写真も撮ります。最近はジョギングも始めました。二十代後半にして、内なるアウトドア志向に転換。2009年無二の知己「角ちゃん」とKWネットワーク始動。 月刊川にて大好評更新中。連絡はmail:aikopa@gmail.comまでお願いいたします。

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