今年三度目の失恋(そのうち一つは女性)を経て、と書いて、ふと思う。
双方向から通行できないトンネルのような気持ちを抱き続けていたように思う。
ブランショの『期待 忘却』をぺりぺりとめくっているだけで、泣けてくる。
そんな風にブランショと向き合うことになるとは思っていなかった。
11月に文庫本を読みたくなって、買った『罪と罰』。
ドストエフスキーなんて、読みたいと思ったことのない本だった。
ただ、緩慢に私の中に流れていた「罰されたい」という思いが、
レジに向かわせたのだろう。
私が愛したくても愛しとおせなかった人々のことを考えていた。
この上下巻に渡る、壮大で、荘厳な雰囲気が、私の気持ちを静めてくれるだろう。
いつかいつか、きっと罰せられるのではないかと思いながら、
読み進めてきた。まだ今のところ十分に苦しんでいるものの、
ラスコーリニコフは罰せられていない。
そして、昨日、三度目の失恋を経て、私は、ふと思う。
失恋ではなく、これは罰だったのではないか。
罪と罰と、三つの罰。
ちょっと罰が多すぎる感じがするけど、悪くない。
荘厳な気持ちには至らなかったけれど、きっと悪くない。
罪と罰と、三つの罰。
そう心の中で唱えてみた。
写真は種田山頭火と四つの大根。
カレンダー、制作中です。
最近のコメント