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日帰りで静岡県まで行って来る。
往復で12時間の電車の旅。
電車に長時間揺られると、邪念がゴトゴトとふるい落とされるような心地がする。
ペンパルに、藤森さんの建築をおすすめしたいと読み始めた本で、
すっかりはまってしまい、どれもこれも行きたくなってしまって、
でも、一週間くらいすると、その熱も徐々に冷めてくるものだけれど、
浜松市にある秋野不矩美術館は違った。
あの世のような空間という形容に、もうどうしても行きたくなる。
展示ギャラリーには裸足で上がり、ひんやりとする白い大理石の床、
四方を白い壁に囲まれた部屋で、小さな吹き抜け窓から、光がぽっと降りてきている。
インドを描いた秋野さんの絵が、広大な風景が、
ぽつぽつと展示されて、心の奥にこつんこつんと響いてくる。
天国というかあの世というか、神聖な気持ちになる空間で、
静かに佇むのだ、と。
秋野さんの絵に関して、とりわけ熱を上げているわけではないけれど、
ここでこうして鑑賞するということが、ただ見るより、
ずっとずっと良かった。
建物全体から、木の良い匂いがして、くんくんと空気を吸った。
ここで、寝ころんで、秋野さんの絵を、限りなく細い眼で見たいと思った。
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モノクロの動画に目覚め、モノクロで撮る日々。
その中に、今まで生きてきた軌跡のように、残存する色への渇望。
そうなんだろうと思ったのは、一枚だけ撮ってあった、
青い歩道橋とヒマワリの写真。
モノクロがぽっと湧いて出てきたアイディアというわけだったのだが、
撮り始めて、いや、色がなくなることで、何てことのない光や動きを、
些細なものへと馳せる思いを捉え、むしろ、もっと強く、
自分と対峙する瞬間に迫られているように思う。
だからこそ、底知れない魅力があるのではないか。
けれども、忘れられない色の世界にはまた、鮮やかさがあり、
私は見えている、私は感じているという生への無条件の肯定を感じる。
先週末、家の前の道路を、元気よく、若者たちが
「ドッカン、ドッカン、ついてる~」と歌っていたので、
今になって、聞きたくなって、ドラゴンボール改のOPをyoutubeで探す。
Dragon soulを初めて聞いた時、まずサビの「DOKKAN DOKKAN ツイてる」
という部分の、このよく分からない元気良さと、最後のDragon soul!と言って、
プシュッと終わるところが何とも言えず、これはきっと、
後で、おでんのような味わいが出てくると思っていた。
まさに、私にとって、今、おでんの味わいとなったDragon soulを、
色々な国の人々が色々な国の言葉で歌っていることを知る。
そして、このDOKKAN部分と、Dragon soulは万国共通語として、
多くの国でそのまま歌われてもおかしくないと思っていた。
けれど、何かが違う。
英語バージョンでは、DOKKANがDon't stopになっていた。
フランス語バージョンになると、Dの音すら入らないフレーズに変わり、
最後のDragon soulも無理やりフランス語になっていた。
のーんと思って、他の言語も探す。
スペイン語では、DOKKAN部分がVamos~になっているが、
最後はDragon soulでキメていた。
やっぱり、Dragon soulだよな!と思ったけれど、
スペイン語圏の人で、おそらく独自の訳で弾き語っている人がいて、
DOKKANも、Dragon soulも保持したまま、スペイン語で歌っていた。
この人の訳の雰囲気、良いなと思う。
この人のマジンガーZの日本語/スペイン語バージョンも良い。
マシンゲー、マシンゲーという響き、たまりません。
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浦賀の海岸では、潮干狩りをしている人々がいた。
こんな風に、またシネスコのサイズにすると、しっくり来る。

最近、サルサにはまっているんだと姉に話すと、
あの辛いのが良いよねと相槌を打たれそうになる。
音楽のサルサ。
心の旅のサルサバージョンを聞いたら、これは良いと思う。
色々な曲のサルサバージョンが聞きたいと思い、
Youtubeで探しているうちに、むくむくと妄想が広がり、
あのハンソンのヒット曲MMMBopをサルサで歌ってくれたら、
それはむちゃむちゃ良いに違いないと探したけれど、なかった。
彼らが10年後に行ったTVのライブ映像を見ながら、
途中からサルサに変調しないだろうか、耳に入り、
脳に到達する前にサルサバージョンに妄想変換し、
聞けないものだろうか、と念じながら見た。
サルサのことよりも、彼らが変わっていて、本当に彼らが
ハンソンだったのだろうかとびっくりする。

ノスタルジー鹿児島

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先月、熊本・鹿児島に行ってきた。
写真は、おれんじ鉄道で撮った夕日。
夕日のはずが、なぜか煌々と輝く月のようになってしまう。
あんなに車窓にかじりついて、なにを一生懸命していたのか。
今となっては、よく分からないけれど、息を殺しながら、写真をバシャバシャと
撮っていた。
鹿児島はとても良いところだった。パラディパラディと言いながら、
はしゃぎ回り、山道をビーチサンダルで歩き、温泉に入ったりした。
常にポーヴルポープルと化してしまった旅も、
とても印象的で、後半、思い立って買ったカラフルな粘土を、
長時間揺られる電車の中で、いじくり、車窓の前に飾って、楽しんでいた。
人がたくさんいる環境では、こんな風に悠々と粘土なんて
いじってられないもので、旅の最終日には、一両そして二両編成の電車を
愛おしく思う。
帰京し、山手線のホームで、その永遠に延びていく車両に愕然とする二人。
同様にどこまでも続いていくホームの灯りが眩しく、
私たちは何かを見失ったような気分になる。
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あいこぱ。フランス文学研究から大いなる逃亡後、あっちへふらふらこっちへふらふら。愛読書はブランショ、百閒、ヴォネガット。写真、 コラージュもやります。連絡はmail:aikopa@gmail.comまでお願いいたします。

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