一冬かけて、やっとのこと、ジャック・デリダの絵葉書Ⅰを読み終える。
長かった。長く、そして、陰鬱だった。
もう陰鬱な冬もおしまいだ。
読み終えたことによる壮大な解放感をまとって、
私は年末に神保町の古本屋で購入したマラルメの詩集を読む。
タイトルは「イジチュールまたはエルベノンの狂気」。
水蒸気や丸底フラスコを思わせるタイトルだなとずっと思っていたのだけれど、
ちゃんとよく読めば、そんなことどこにも書いてない。
序文にはマラルメの理解者と思われる博士の文章がつけられていた。
後日私は、錯綜を極めた手稿を判読することに、というよりむしろ
開墾することに、慎重な探検家の歓喜に似た熱狂をもって、
しがみつき、そしてなんとかその脈絡を捉え得たと信じている。
と書かれていた。
「開墾する」という言葉に、ぷっと笑う。
「開墾する」というと、もう鍬とか持って田畑に立っているイメージが
つきまとい、掘ることばかり、耕すことばかり考えてしまう。
そして、ページを持つ手に力が入った途端、プリッという気の抜けた音を上げて、
ページを背表紙にジョイントされている部分が裂けた。
ノーンと思いながら、黙々と読み進め、半分くらい来たところで、
ぱらぱらと最後までページをめくっていくと、奥付のマラルメの文字が
マルメラになっていた。
チャルメラみたいな響き。今度、スーパーに行ったら、チャルメラを買おう。
写真はパリの博物館で見たトウモロコシ。
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