November 23, 2005

再び見出されるフレーズ、ごくシンプルな遺跡

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イサムノグチ展に行った。込んでいるし、道に迷うし。
案内地図を見ていたら、おばさんが、
どこ行きたいの?半蔵門線の駅?
遠いわよ、と教えてくれた。

御茶ノ水から竹橋の美術館まで歩いた。
ドイツの写真展、何だか川岸の絵?にぶるぶると身震いした。
緑の岸に、川の流れる帯が横たわり、そしてまた向こう岸の緑があり、
空がある。その風景に、待たれていた。気がした。のだったと思う。

それから、思い出したフレーズ。
「記憶はゴミ収集車が運んでいった。」
小学生になったあたりだったか、書いた作文。
どうやら忘れたということを言いたいらしい。
フレーズ自体はもっと子供らしかったかもしれないけれど、
でも、きっとこのフレーズに予期されるような、
導かれるような、そんな生活を送ってきたように思った。
今日の明け方、おねいちゃんの忽然とした寝言とままこのゴロゴロとした
いびきの合間に、私は突如として、そういう予感に包まれ、
くるまれ、くるりんこ、ねむりらっこなのでした。

それから、ポン吉と呼ばれるおいしそうなしっぽのきつねのぬいぐるみを
首に巻き付けて、確かごめんなさいと言っていた。
私は何を謝っていたのだったか、気持ちよさだけが残っている。

投稿者 aikopa : 11:04 PM

November 13, 2005

発掘し、宇宙の道筋に想いを巡らす

おねいちゃんは、最近、DHAに凝っている。けれど、10回に8回は、
DHCと言っている。
別に私が教え込んだわけではない。
教え込んだわけでもないのに、DHC、DHCと言っている。

土浦に帰るとネットに繋げる。そういう状況が続いている。
で、今回土浦に帰ったのには、特に理由はないと言っておいた。
色んな人に。でも、おそらく理由を挙げるとしたら、発掘だ。
昔の記憶の発掘である。多種多様のメモ、アイディアの走り書き、
そして、井上君の作文だ。
井上君は変な人だった。耳たぶの気持ち良さを班日記に綿密に綴ろうと
する人であり、夏にホットコーヒーを求めて走り出す人であり、
インドア精神を貫きながらバスケ部だった。
その井上君の作文が、やはり今読んでも面白かった。
変わらずに面白くあるということ、それがおそらく十年経っても、
私の中で変わらずにある彼の文章なのだろう。
それを確かめるためだった。と言っても良いと思う。
美容院で頭を小さくされながら、ずっと井上君について想いを巡らしていた。
彼は変だった変だったと思っていたら、80年代のロック歌手みたいな頭にされていた。

それから、私の書いた数々のメモにも目を通した。
忘れてないものもあるが、大抵は忘れていた。
しかも分からなくなっているものもある。面白い。
コリオリの力について書かれた詩があったが、
コリオリが何だかもう分からなくなっていた。
何か分からないものの力に感動しているらしい私。
そして、その私の綴った詩が分からなくなってしまう私。
変な瞬間である。でも、そこには私が忘れてはならない何かが
あるに違いないし、私はその言葉たち、作品たちによって、
救われるべき道筋を辿っているらしいと感じた。

投稿者 aikopa : 10:18 PM
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