May 30, 2004

昨日は誕生日だった

昨日は色々と大変だった。
金曜の夜、部屋にムカデみたいなにょろにょろ虫が現れて、
2時ぐらいに指に絡まったところを、寝ぼけて手づかみで
排除してしまったらしい。
ぱぱこには、夢でも見たんじゃないか、そんな虫いないと言われた。
ままことぱぱこの間で眠る。
枕だけがのそのそと私の方に集まっていた。
気を遣ってもらっている。
で、土曜は、汚いから虫が出るのだと、雑巾がけを必死にやる。
綺麗になった。
そしたら、夜にまたにょろにょろ虫が出てきて、うひゃあと叫んでいたら、
ままことぱぱこが来て、やっつけてくれた。
今度は、ふとんも持って、ままことぱぱこの部屋で寝る。
もうこの年になって、こんなところで寝るとは思わなかったけど、
意外に2階は涼しくて快適だった。

今日は、朝5時に起きて、アルノー・デプレシャンの「エスター・カーン」
を見たんだが、ところどころ怖い場面がありもしたが、なかなか
美しく、サマー・フェニックスが綺麗に撮られていた。

投稿者 aikopa : 5:34 PM

May 27, 2004

エメラルドの夕べ

どっと打ち寄せる悲しみに休止符を送れ
休止符とハイフンの織りなすダイヤグラムの休日
私が生きたかったのはトスカーナではなかった
焼けつくようなパスタの匂いが彼の髪から流れ出ていた
吸い込むような青
エメラルドの海の中の眼差し
私を困惑させるのは悲しみじゃない
エメラルドの夕べ
薄明かりの下のナポリタンが
食べても食べても残っている
打ち寄せる悲しみ
涙を流しているのは誰?
道に迷った地図の絵に描かれた浜辺
殺人バラバラ事件を追ううちに
性転換手術を受けた女刑事
彼の瞳はエメラルド
悲しみに横たわるエメラルドの夕べ
彼の予期せぬ運命に流れ星を降り注ぐ
眠っているのは誰?
片目のないジミー
ジミーはブルックリンで育った
いや違う リトル・イタリーだ
違う ジミーなんかじゃない
ジミーの多くを物語る果てしない人格
私だ 私がそこにいる
エメラルドの夕べ

+ + + + +
今朝、朝四時に起きて映画を見ました。
ジミーという名の人はどこにも出てきませんでした。
でも、タッチダウンに出てくる高校と同じ高校でした。
エメラルドは瞳の色、海の色、薄明かりの色、です。
まるでカメレオンのような気持ち悪さ、夏へと向かいつつある湿度、
突如出現した孤独、そしてマクロ・アイデンティティ、
南の島への旅愁が描かれているのではないかと思います。

投稿者 aikopa : 9:15 PM

May 25, 2004

銀座を徘徊する

有楽町のHMVは、何だかパチンコ店みたいなイルミネーション。

hmv-ginza.JPG

銀座はどこも飯が高い。
みんな本当にこんなところで食べているのかと思ったら、ヤマザキパンがあった。
パンも弁当も安い。銀座のオアシス。

yamazakipan.JPG

今日は銀座周辺で映画館をハシゴした。
「真珠の耳飾りの少女」と「スパニッシュ・アパートメント」。
「真珠の耳飾りの少女」はスカーレット・ヨハンソンの息遣いが印象的で、
「スパニッシュ・アパートメント」は意外に素晴らしくじいんと来た。
留学生の人間模様をフランス的視点(監督はセドリック・クラピッシュ)
で切り取っていると思う。
私が「スパニッシュ・アパートメント」の方を素晴らしく感じたのは、
フランスに近づきつつあるのかと思った。
以前、セドリック・クラピッシュの映画を見たときは、あー、
フランス臭いと思ったけど、今回はそう思わなかった。
むしろ、自然に感じられた。冒頭のモンタージュが、小気味良い。

銀座プランタンにも行った。前、恵比寿三越で買ったくまの仲間がいた。
うはは。たくさん触っちゃった。

投稿者 aikopa : 10:15 PM

May 20, 2004

テレビ復活しました。

私「今日、上野に行ったんどけど、」
友「何しに?」
私「散歩。」

という会話を聞いていた、月2の先生にふふって笑われた。
エレベータ内で。

つまり、私は上野に行って、ぶらぶらと上野公園を歩き、
高校生か中学生の行列に立ち会ったのだった。
雨が降ると、上野に来たくなるのだった。
偶然のためにカメラを隠し持つ日々。

あと、帰りにブックオフに寄ったら、棚の整理をしている店員が、
たくさんの本を持って、ずんずん走ってくるので、おぼおぼしてると、
ぶつかりそうだった。店員のため息が聞こえるし。
ブックオフの店員とのテンポの違いを実感した。体育会系?

投稿者 aikopa : 11:02 PM

May 17, 2004

ダイ・アナザー・テレビ

テレビ、壊れました。
一家のテレビの総元締めであった、あのでかいテレビが。
おねいちゃんと、たくさんゲームをやって、一時期ぱぱこが、
一生懸命修理して、修理屋さんを呼んだら、なぜか
ただで修理してくれた、あのテレビ。
引越しを何度か経験し、手すりをはずさないと、
階段も上れなかった、あのテレビ。
あれやこれや、様々な思い出が走馬燈のように消えていきます。
ああぅ。
ステップに先立たれた上に、テレビにも見放されました。
スカパー!、入ってるのに、見れません。
もう、映画館に足繁く通わなければならないのでしょうか。
あぁ、最後にシネフィル・イマジカでやっていた「シャンプー台の
向こうに」が見たかった。大した映画じゃなかったのかもしれないが、
途中まで見た。あの後半を見たくて、わくわくしていた矢先の、
テレビ・ダイ。まいった。
うひゃぁ。映画との関係が絶たれてしまった。
と思ったら、何だかストレスが溜まり、毎日がグレグレ色。
新宿のTSUTAYAに行くか、マヨ意中。遠いです。

投稿者 aikopa : 10:39 PM

May 16, 2004

手ぶくろを買いに行くのはだれ?

私はエリートコース沿いに公吏の仕事を何年か続けたが、
どうにもこうにも嫌になり、自分はやはりかねてから、
思い続けてきたけものになるべきだと思い立ったのだ。
思うが安し、言うも安し。私は一目散に、森の中の生活者へと
変貌していった。
日に日に人間の言葉を忘れ、けもののように木々の間を
駆けずり回る自分に、いつしかいくつかの仲間ができた。
リスの鈴木さんと、アライグマの田中さん、きつつきの石川さんだ。
毎日のように、私たちは歌い、のんびりと空を見たものだった。
ああ、こうして私はけものになるんだなぁ。
ふとそう思う瞬間の連続でした。
空を見ていると、やがて冬がやって来ました。
私のけものの手は、霜焼けで赤くなり、寒くて寒くて
かなわんわい。わいわいわいでした。
そうだ。手ぶくろを買いに行こう。
おお、そうじゃ。
私は、葉っぱで偽造したお金を握りしめ、
昔祖母が開業していた手ぶくろ屋さんへと向かいました。
空から白い妖精群がちらちらと舞い、町々の灯を
ぼおっと揺らめかせていました。
私は手ぶくろ屋の戸を三寸(約9センチ)ほど開け、
そこから人間の手に化けた手を差し出し、言いました。
「てぶくろをください」
それが私の最後の人間の言葉だった。
私は赤い毛糸の手ぶくろをはめ、上機嫌で森へと
帰っていきました。
ほっかほかです。幸せな冬がやって来ました。

: : : : : : : : : : 
「手ぶくろを買いに」の三寸は約9センチだということは、
絶対、きつねなのが見えてるとずっと思っていました。
それがまた最近になって、そう思っていたことを思い出し、
あれこれと思っていたら、「山月記」と「手ぶくろを買いに」の
合体パロディをしたら、どうだろうと思うようになったのです。
けものになったかと思うと、いつの間にか手ぶくろを買いに
行っている。

そういうのに、少し惹かれました。

投稿者 aikopa : 12:13 AM

May 12, 2004

波打つ鳥。新宿地下。

tori-kawaru.JPG

変わるのは私なのか?

投稿者 aikopa : 11:49 PM

May 11, 2004

オリーブの林をぬけて

昨夜、「オリーブの林をぬけて」という映画を見た。
アッバス・キアロスタミが監督したイラン映画だ。
私の中で3本目のイラン映画になるが、イラン映画は
どれも純粋で、美しい心が描かれていたと思う。
この「オリーブの林をぬけて」は、男が女に求婚する話なのだが、
何も答えない女性に、粘り強く自分の気持ちを伝え続ける、
主人公は、映画が終わりに近づくに連れて、どんどん美しくなった。
その世界自体も。オリーブの林のシーンと、何度も「白い靴下はどこだ?」
を撮影しているシーンは、じーんと来る。
STEPの閉店により私の映画の枯渇を潤す映画だった。
こんな風に映画と関わる生活も良い。

投稿者 aikopa : 10:59 PM

May 9, 2004

アヘンとかモルへとか

今年の柱状先生は、一味違う。
モア・アトラクション的になった。
すぐ腕まくり状態になるほど、熱烈に語っている。
この前のゼミで、咳が止まらなくなった際に処方された
薬の中に、阿片が入っていて、
とても気持ちのよい、幸せで光がこう差し込んでくるような、
(とか何とか。とにかくすごい顔だった。)気持ちになったと
話していた。
それと、高校の時の国語教師が、モルヒネ(?)を飲むと、
頭が冴え渡り、受験勉強をしたんだと話してくれたと柱状先生は
言っていた。
普段は、どういう頭の人なのだろう。もやもやとした感じなのか。

投稿者 aikopa : 12:43 AM

May 8, 2004

かぬぺか、かなぺじょ。

shinjuku-tori.JPG

昨日は、朝早く目が覚め、とてつもなくかなぺこになってしまった。
いきなりだ。突如襲われたかなぺじょ。
何が足りないのか、私の生活に何が足りないから、こうなって
しまったのかを30分ほど考えた。
文化的活動だ。いや、もしくは創造的活動と言うべきなのか。
分からないが、ふにょふにょと導かれるまま、
2年前に書いた「かけがえのない日常のフレーズで組み合わされる
ダイアローグ」をかばんに突っ込んだ。
しかし、なかなか再読する時間が取れず、結局、
夜アイリッシュ・パブでくまくまと回し読むことになった。
まさかこんなところで、役に立つとは思わなかった。
自分はなぜシュルレアリスムに惹かれるのかとか、本当に
惹かれてるのか、自分の書いていたテクストに、私が進むべき道の
ヒントが書いてあるのではないかと思ったのだった。
つまり、もう2年前からこうなる運命というのが示されているのではないかと。
しかし、読んだところで、はっきりとは分からなかったが、
今の私なりの答えとしては、私が書いていたものは、私独自の手法による
シュルレアリスムにも似たテクストで、言葉遊びがひしめき合っていた。
真剣に何かを考えること、問い詰めることに対して、もしくは、
世界全体のそういう圧力に対して、反抗しているものがあった。
のだと思う。
より無意識で、いきあたりばったりの運命に重きを置くような思想で。
あいこぱ哲学のようだった。
「まずは愛すること」なのだと思う。

投稿者 aikopa : 12:03 PM
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May 6, 2004 11:52 PM かまピエ
May 5, 2004 10:08 PM かなぺ路
May 3, 2004 9:19 PM LOMOカメラ!
May 2, 2004 1:07 AM やっぱり犬なのか?
May 1, 2004 12:39 AM 写真を撮る。