December 27, 2004

夢の中でボルヘスボルヘスと唱えていた

今日は朝から変だった。
ボルヘスボルヘスと夢の中で唱えていた。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスだ。最近、彼の短編集を読んでいる。
しかし、夢中で唱えることのほどではない。
どうやら、「ブエノスアイレスの夜」を見に行くので、盛り上がっていたらしいのだ。
夢の中で。スペイン語きどり。きみどりいろ。
ブエノスアイレスの夜は、セシリア・ロスとガエル・ガルシア・ベルナルが出てる。
もう本当に素晴らしく美しく、おおおスペイン語は違うぜ、
フランス語じゃこれほどまでの秘めたる情熱は表現出来ないぜと思った。
で、この映画を見終わった後の私はというと、ふらふらとさまよい歩き、
頭の中がタンゴとかフラメンコとかロマ系の音楽が沸騰状態になり、
ふとすると頭の中でしゅぱしゅぱ踊り出していた。
そんな音楽は使われてなかったのだが、盛り上がりまくりである。

帰ってきてから、合間を盗みながら、「センターステージ」を拝見。
イリヤ・クーリックが、バレエ学校の生徒の一人で、ボケ役というポジション。
少し浮いているという気もしないでもなかったが、そこをボケというポジションで
オブラートに包んでいるのではないかと。
スーザン・メイ・プラットがまた病的でかなわない。彼女の魅力はおそらくその骨格じゃないか。
バレエの発表会のシーンは、何だか夢のように足がにょきにょき舞っていたよ。
もうどこから足が出てくるか分からにゃい。

投稿者 aikopa : 9:24 PM

December 25, 2004

クリスマスキャロルとブロディについて考える

今日は、クリスマスキャロルを見に行った。
ケチな金持ちスクルージが改心する話だ。
改心するのが良くない。そんなに簡単に改心しちゃまずい。のだ。
と思った。
眠くならないように間に、歌が入ってる。
「三人のゴースト」と筋書きはほとんど一緒だ。
ビル・マーレーは美しく改心してみせたかもしれないな。
彼の半回転裏返りヤケクソ感の漂うエンディングのソロを思い出した。
で、今日見たクリスマスキャロルは、とにかく直球だ。
そこまで素晴らしい抽象語を並べ立てられると、私の思考は止まってしまう。
しかもその言葉を並べ立てて歌い出した時には、もう如何ともしがたい感情が
ぐるぐると渦巻いた。
主役の人は上手かったが、改心してもしなくてもどっちでも良いんじゃないかと
思わせる人だった。もう根底から覆すものがある。
で、ロジャーだ。とにかく私は、カーテンコール時に紙吹雪が口の中に入り、
ぺっぺとした宮本充について語りたいのだと思う。
あるいは、宮本充を戦場のピアニストの吹き替えにキャスティングした人についてだ。
私はエイドリアン・ブロディを写真もしくは喋ってない動画でしか見たことがない。
でも戦場のピアニストでアカデミー賞を受賞したのは知っている。
最近、戦場のピアニストがテレビ放映される時にブロディを吹き替えたのは、
宮本充だ。おねいちゃんに配慮すると、ロジャー・スミスの声。
頭の中で、ブロディの声が宮本充によって再現されるのが容易に想像出来る。
そう私は感じていた。で、そのキャスティングした人はさすがだ。と思ったのだが、
今日、実際に宮本充の生身が声を発し、動くのを見て、あー、ブロディっぽいん
じゃないか。と思った。ロジャーよりもむしろ、ブロディだ。
あの顎から発せられる声、ぴったし。
妙に納得してしまった。

投稿者 aikopa : 10:01 PM

December 24, 2004

なぜパンダなのか?

全然大したことないことだが、これを私一人が享受するのは良くない。
特に健康的に。そう思うことがあった。
NHKでは、外国語の教育番組をやっている。
英語以外にも、ドイツ語、フランス語、韓国語、アラビア語に至るまで幅広い。
で、そのホームページには出演者(テレビの方の)紹介がある。
パンダがいるのだ、中国語会話には。
しかも、見るからに人間が入っているパンダ。
おかしくないか。おかしいんじゃないのか。
他の言語の出演者紹介は人間ばかりだ。というか、人間が紹介されるべきところだ。
で、昨年も中国語会話、動物である。
なぜか一番下にハムスター。
なぜパンダなのか?という疑問のあとに、自然になぜパンダじゃないのか?という疑問。
もう中国語会話には、動物がいなきゃだめだという強迫観念の渦。
来年度は、どんな動物なのだろうか。密やかに気になるところだ。

投稿者 aikopa : 9:08 PM

December 23, 2004

ムーシカムーシカという詩を書いた

男はムーシカを探していると言う
世界の最も小さな構成単位がムーシカなのだと言う
私にはムーシカのことはよく分からなかったが
男をムーシカの店へ連れていった
小さな穴から中を覗く
溢れ出るムーシカが午後の光を浴びて
きらめいていた
今日は月曜じゃないから中には入れないのだ
男はムーシカの叫び声をあげ
ムーシカのうなり声を押し出し
ムーシカムーシカと歌い上げた
彼の世界はムーシカで回り
その回る感情の原動力がムーシカなのだ
私も真似してムーシカムーシカとささやいた

「ムーシカムーシカ」

++ + +  +  +
今日は、ドリーマーズとスパニッシュ・アパートメントを見た。
スパニッシュ・アパートメントは、フランスに行く前に一度見た。
で、今回はまた違うところに、発見があり、良かった。
この詩は帰りに電車の中で書いた。
でも、その映画とは何の関係もない。
むしろ、帰りに寄った雑貨屋の白い熊のぬいぐるみの腹を触った感覚が、
ムーシカという言葉に集約されていると思う。
あの腹はまさにムーシカだった。
皆が腹を触るものだから、少し薄汚れていた。

投稿者 aikopa : 7:50 PM

December 21, 2004

狩人の眠り

という詩を書いた。卒論が終わった次の日か、そのまた次の日ぐらいのことだ。
もうかれこれ随分、詩を書いていなかったわけなのだが、
結局のところ、スタイルは変わってないなぁと思ったのだった。

で、もう少しで眠りらっこの季節到来の予感。
今日は、午後の五時とハナのアフガンノートを見に行った。
午後の五時はアフガニスタンの女性を描いた静かな映画だったが、
その映画のオーディション風景を記録した、ハナのアフガンノートは、
けたたましい会話の連続だった。
最後まで人の話を聞かずに、おれがおれがと皆、話す。元気の良い時間。
イスラム教のことは分からないが、女性のゆったりとした衣服が風に吹かれ、
むくむくと広がるのはまるで夢の様。
あぁ、この広がりが女性の内なる魅力を象徴しているのだと。
墜落した飛行機の中で暮らしてるところが、ファンタジックで好きだった。
イラン系の映画は、もうとにかくその一生懸命さと、真実と紙一重感が好きだ。

帰ってから、デッドマン・ウォーキングを途中から見た。
映画三昧。この一ヶ月を精算する作業。

= = = = = = = = = = =
   官能的な図書館の影が乱れ散る
     林を駆け抜けたのは私だ
        古典的な唐草模様がめまいを誘う
    心臓に重くのしかかる息は孤空を舞う鳥を絞殺する
  彼の書斎は内側へと二重のらせん階段を形成していたのだ
 二つの足音が行ったり来たり ぐるぐると回り
  声がうねりを持つ 困ったように彼は失くしものを探すのだった
   くっきりとした生命線は何を指し示すのか
    話題を奪い去る沈黙は秘密を放棄する
     それとも首元でもそもそと動く小動物か
    彼女の首元にオオカミ色の草原が波打つ
彼女こそオオカミだったのだ
  眠りに錯乱するほこりの渦が 影を飲み込んでしまっても
    私はうなされ続けるだろう
      私はまどろみ続けるだろう
       私は眠り続けるだろう
   すべての平坦な時間は影をも飲み込んでしまう

      「狩人の眠り」

投稿者 aikopa : 8:15 PM

December 18, 2004

voyage autour de ma chambre

ホルヘ・ルイス・ボルヘスというアルゼンチンの作家の短編を読んだ。
それは、ブエノスアイレスのある家の地下室の真っ暗闇の中に身を横たえ、
3センチメートルの微かに光る球体の中に「世界」を見たのだという話だった。
読むうちに私も光る球体の中に吸い込まれた。

で、昨夜はアテネフランセのみんなと、夕食をたらふく食べる会だった。
フランス人の店員が時折、音楽に合わせて歌っていた。
丸太型のケーキには、突き刺さるようなカラメルがもしゃもしゃ付いていて、
もうお腹いっぱい。
歌っていた店員さんに、この集団は全員フランス語が喋れるのか?
すげぇ!と言われていた。アテネフランセの先生は四年もいるのに、
日本語が喋れないのか?と言われていた、フランス語で。

そんなこんなで、おねいちゃんのところにやって来た。
たくさんの使えないものが買ってあった。いちいち、報告してくれる。
おらも報告してぇ。

投稿者 aikopa : 10:13 AM

December 16, 2004

よく見えなかったものが見えるようになる

卒論、出してきた。
背表紙がボコついてるが気にしないことにした。
あのボコ加減が私のお気に入りだ。

卒論が終わって、考え事が緩やかになったせいか、
よく見えなかったものが見えるようになったりした。
あれ?こんなのあったっけ?の連続。
朝は連続浮かれ小説状態。もう、ひゅんひゅんと飛び起きます。
でも、夕方になって家にたどり着く頃には、へろへろになり、
家に帰ってくると、時間があっという間に過ぎる。
おかぺい。
あ、そうだ。今日は、ままこが枕みたいなパンを作ってくれた。
ほんとに枕みたい。愛着が湧いて、だっこして眠りたくなるような、
ビッグサイズ。これ、パン?みたいな枕。眠ってて、お腹が空いたら、ちぎって食べるだ。
中がもちもちーっとしてて、外側はフランスパンみたいに強固でおいしかった。
あ、確かロベール・デスノスがこんな言葉を残していたんだった。

ローズ・セラヴィの眠りのなかには、井戸から出てきたひとりの小人がいて、
夜になるとパンを食べにやってくる。

投稿者 aikopa : 10:53 PM

December 11, 2004

眠っていたらもう届いていた。

今日は、手帳が来るというので、どぎまぎしながら、待っていたのだが、
午前中仏作文をたらたらとやり過ごしていたら、疲れてしまった。
で、午後はうんうんうなされながら、眠る。
サイコキネシスを使ってくる相手に、おねいちゃんとままこと挑むみたいな夢。
いや、サイコキネシスを使っていたのはこっちか。うーん。
とにかく何て言うんだっけ。あれ、物がひとりでに動いて、音を立てまくる現象。
その現象のオンパレード。

昼に「ネバーランド」というジョニー・デップが作家で、ピーターパンをいかにして
書き上げたかという映画の予告を見たのだが、ケイト・ウィンスレットが良い雰囲気だ。
最近はジョニー・デップに対して、似非カリビアンめ!とか思っていたが、この映画にはお?と
思わせられた。でも、10年前の彼がこの役を演じることができていたなら、
好感が持てたかもしれない。あの頃の彼は、よりポエティックだったと思う。
いや、動物的か。もそもそ毛じゃむくら。あの何かに恐れをなしていた彼が、
内なる魅力を形成していたのではないか。
で、ケイト・ウィンスレット。10年前の彼女はよく知らないが、タイタニックらへんの時は、
何というか、共演者と競ってて怖かったのだけれど、最近の彼女は、違うんだなと思った。
溶け込む、潔さがある。心地良い存在感。

おねいちゃんに電話したら、また、ネロリ?はへ?何だっけ?と言われた。
もう少し、精進しようと思う。もふもふ。

あー、思い出した。ポルターガイスト。確かそんな感じの言葉。

投稿者 aikopa : 9:28 PM

December 9, 2004

最後のフランスの写真を現像した。

kouji-fr.JPG  esp-defence.JPG

右がビルの工事現場。何だか窓に白いもにょもにょが付いてる。
左は、メトロの駅前の広場。何かのどかに夕暮れ。赤や黄色の風車みたいなのが、
光ってるところ。

投稿者 aikopa : 6:35 PM

December 7, 2004

もふーん。

今日は、学校に行った。
帰ってきて、タラフ・ド・ハイドゥークスを聴きながら、
もっさもっさ卒論を進める。わけの分からない歌詞を歌い上げながら。
あともうちょいだ。
できてきた。なんだろう。おいしいものを作って、くんくんしてきた感じ。
おいしくなるぞ、おいしくなるぞとおまじないをかけるのだす。

寝る前にメールチェックするぞとメールをチェックしたら、
おねいちゃんから、スケジュール帳をあいこの分まで買ったというメール。
がびーん。あいこぱは、もうすでに買っていた。のだっは。がくーん。
おねいちゃんは、あいこぱの気の早さを侮っている。

投稿者 aikopa : 12:11 AM
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December 4, 2004 10:42 PM 今日の私はミラクルだった