September 22, 2005

ジンジャーエールの夜

ジンジャーエールを飲む私。コップの底から湧き上がる気泡。
小さくプシュプシュと音を立てている。
けれど、ジャンジーエールを飲んでいたのはワン次郎だった。
緑色の瓶からコップに流れ落ちると同時に、無数の気泡が這い上がる。
ワン次郎の顔にも少しパチパチとはじけ飛んで、おしぼりでゴシゴシと拭いた。
カラメル色の歪んだ世界をじっと見つめている。
コップには小さな水滴が付いていた。
そこにもきっとワン次郎が映っている。
ストローを差して、ひと口飲んだと思うと、口をパッと開けて
喉の方でパチパチ言わせて遊んでいる。ゴクンと飲み込んで、
今度はストローをくわえて、ぶくぶくと液体の方に息を吐き出した。
気泡がはじけて、ぽうぽうと言っている。
こっちの方が楽しくてたまらないらしい。いつまでも、ぽうぽうとやっている。
すると、ぽうぽうと気泡がはじけているあたりから、むくむくと出てくるものがある。
雲のような中に、うっすらと影。
鯛焼き?ん?
ワン次郎、鯛焼き食べたいのか?
恥ずかしそうにコクッとうなずく。そして、鯛焼きの影が消えると、
またぽうぽうとやり出した。今度はみかん。
大量のみかんを浮かべてワン次郎が風呂に入っている。
それは、ゆずの間違いじゃないの?と聞くと、
あちゃと小さなおでこをポンと叩く。
次は、のりを巻いたおにぎり。三角形の、丸っこいの、俵型の、次々と
おにぎりを出している。とにかく、おにぎりが食べたいらしい。
おにぎりの次には、のり巻が出てきて、かんぴょう巻、かっぱ巻、鉄火巻、
梅じそ巻、納豆巻。初めは普通の長さだったが、そのうちにどんどん長くなっている。
みょーんとどこまでも長いのり巻。
気がつくと、ワン次郎がぽうぽうやりすぎて、顔を真っ赤にしている。
ふーと息を吸って、呼吸を落ち着ける。もう懲りたかと思ったが、
またぽうぽうとやり出した。
けれど今度は、枕とか毛布を出してきて、その中に入ろうとしている。
ワン次郎、眠たいのか?口をパッと開けてうなずいた。
その後も少しぽうぽうとやったけれど、何も思いつかなくなって、
枕や毛布まみれになっていた。
ぱたとやめたと思うと、すうすうと眠り出した。やはり眠たかったのだ。
眠っているワン次郎を横目に、少しぶくぶくとやってみた。
ぽうぽうと小さく音がしたが、何も起こらなかった。
気の抜けたジンジャーエールだけが残った。

・ ・ ・
最近は、こんなのを書いている。
というのか、一ヶ月前くらいに書いたのを書き直した。
筋は変わってないし、描写もほとんど一緒だけれど、
長い話の中のエピソードよりも、短いエピソードの方が
良いような気がした。
こういう日常の断片が天井を埋め尽くしていく。
というのもいいんじゃないだろうか。どうだろう。

投稿者 aikopa : 8:00 PM

September 18, 2005

中野で保護された三匹の小ブタになりたい。

ptcouloir.JPG

眠たいのか、おかしかった。
角ちゃんと久しぶりに会ったけれど、2040見に行ったところとか言ってた。
見たのは2046だ。
それとか、ホースの耳はロバの耳とか。うわごとを真面目に言っていた。
寝ぼけているのだろうか。
と思ったら、電車の中でぐったり眠った。
おねいちゃんと毛糸でモウモウ盛り上がる。むうむう。
家に帰ったら、アマゾンから本がやって来ていた。
ブコウスキーの本と、ファンタスマゴリアデイズとか。
ブコウスキーの季節がもうすぐやって来る。
ブランショの私についてこなかった男も、気づいたらもう半分読んでいた。
まだ、ここなのかここなのか。と言っている。
ブランショの小説は私の中で息が長い。
時折偶然目にして、読み始める。初めは、確か謎の男トマだった。
確かそれで、トマが最後には死んじゃうんだったか。忘れた。
でも、プールの水にたゆたう場面とか、妙に細かいところは、
よく覚えている。でも、希望のときに(?)は、忘れた。どんなだったか。
まるで夢を見た後のように忘れてしまう。おもしろい。
夢を見て、その夢をなかなか覚えてられないのと同じ感覚だ。

投稿者 aikopa : 8:59 PM

September 10, 2005

カバンからメモが出てきた。

ふせんが貼ってある箇所をめくっていたら、
「答えはいつも眠りによって導き出されるのです。眠りの世界で、
あなたが無意識に思考することで、現実の世界において
答えが自然と湧いてくるのです。」
というメモを見つけた。我ながら勇気づけられる。

台風接近中の中、たむらしげるの世界展に足を運ぶ。
横笛をぽっぱぺっぱ吹いてると、緑色のガラスの海から、
みょーんとゾウが出てくるアニメを見た。
初期の頃の原画で、何だか動物のようなキャラクターが、
ウマカッタ!と言っているのを見て、あー、やっぱり、
最後は寝るか、おいしいもの食べるか、綺麗なものを
眺めるかなのだ。と思った。そういう終わりの絵本が多い。
けれど、本能的に私たちが欲している物語なのだと思う。

クロード・シモンの路面電車を読む。訳者あとがきに、
彼はノーベル賞を取ったら、本が売れるようになるかと思ったけれど、
それほど売れなかった。ということ、ベストセラーになる本は、
上下巻があり、速く読めるのに対して、クロード・シモンの作品は、
のろのろとしか読めない。
というようなことが書かれていて、おう。確かに。
道理でのろのろとしてしか読めなかったと思った。
そして、のろのろとしか読めない本を大抵の人は好まないということも分かった。
私はというと、のろのろも良い。けれど、思想的に反するものは、
やはりのろのろというよりも、速く読めても、一度に大量に読むことが
できないのだった。今、そういう本がある。
3日に2ページぐらい読むペース。まだまだ半分。しかも、おもしろくない。
おもしろくないなら読むなと言われるかもしれないけれど、
最後がおもしろいかもしれないと思うと、嫌でもやはり読んで、
最後まで読んで、やはりオモシロクナカッタに至りたいと思うのだった。
大抵のものは、最後まで読めば何かしら、面白さがあるはずなのだ。
その作品と私との距離を測る面白さが。

そして、モロッコへと想いを馳せるためのサイトを発見。
この写真たちを見て、モロッコにぶらりと夢立ちたい。

投稿者 aikopa : 12:57 AM

September 3, 2005

らじぼん。そう、言っていた。

おねいちゃんが帰ってきている。
なぜか私の部屋には、三段ベッドの三段目だけがある、妙に
足の長いベッドで寝るのだが、ねじがゆるんでぐらぐらしている。
あとで、一段にしてもらった。
何かイライラしていたおねいちゃんが、後からやってきて、
上機嫌になって、携帯でラジオ放送を録音したと報告してきた。
カラヤンが指揮している、ボーボボボ三年生の曲。
おねいちゃんは、○○・ボーボナントカ三世と言っていたが、
私はボーボボボ三年生?と聞き返す。アラブ系の15才くらいの少年が
インタビューされていた。
という夢を見たのだった。
おねいちゃんは、やはりFMラジオ付き携帯を買うのだろうか。
着実に夢の記録は増殖中だ。

投稿者 aikopa : 9:50 PM

September 2, 2005

やはり丸いのか?

遠くから小さい丸をマークするのかどうか。
そんな話をおねいちゃんとした後、その後のアイコ。
百間の『サラサーテの盤』(ちくま書房)という短編集を読む。
「東京日記」の盲学校の校庭で輪を作って踊っている目くらに
混じって、白く細長い顔の山羊がいるという話にくらくらした。
私はとにかく、動物ものにめっぽう弱い。しかも、何も風刺してないと、
なおさら好きになる傾向がある。
でも、芥川龍之介の『河童』を読んだ時、あれはたぶん風刺というか、
そういうものだと思うのだけど、主人公が冒頭で倒れて、河童たちに
担架で運ばれていくところは、もう、うひゃーと思った。
私も河童に運ばれたい。
それから、またアラン・ロブ=グリエの『迷路のなかで』を読む。
とにかく雪の中を歩く。キャッフェ、兵舎。部屋。
冒頭の埃の描写は、唸るものがあった。埃、埃が織りなす軌跡を
綿密に描く。それから、初めは短い断片だったものが、
繰り返されるうちに、幾層にもなって、最後にはよく分からないのだが、
何かをまさに体験した気分になる。

昨日とその前の日は、メモを切り貼りして、丸いシールをぺたぺたと
貼ったりした。そして、意味もなく眠る。眠るのに意味なんかいらない。
むしろ枕が必要だ。とかなんとか。むにゃむにゃ。白神山地に行きたい。

投稿者 aikopa : 8:36 PM
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