February 27, 2005
どんどこ捨てる
昨夜から部屋を片づけた。
読みもしなかった日記を読んで、必要のないページは捨てることにした。
膨大な量のページを破り捨てる。なぜだか非常に気分が良かった。
ああいう時代のものを人は後ろめたく感じているものなのかもしれない。
あと、テープやMDの整理。
ピアニカを録音したものを聞いて、果てしない気持ちになった。
数曲が延々と繰り返し録音されている。いつまでこれが続くのかと思った。
しかし、その合間に録音されている即興の音を聞くと、おおおっと
思ってしまい、結局そのテープは保存されるのだった。
でも、意外に自分の微々たる音楽的才能に満足した。
キーボードを即興で弾いたものは、何だかクリンペライのようだった。
あと、年賀状が多数見つかり、「また、あのゲームをしよう」と書いてあり、
はて?あのゲームとは?と首を傾げてしまった。
色々なメモに目を通し、何だか昔も今も考えてることは大差ないなぁと
実感してしまった。
February 18, 2005
木曜日は詩を書いた
水曜の地震でパソコンのモニターのコードがどうにかなって、
使えなくなって凹んだ。
木曜日も凹んだまま、一日中ぼーっとしていた。
何かしたと言えば、詩を書いたことと、夜寝る前に
本を読んだことだけだ。
今日はやる気をむくむくと取り戻し、朝、山頭火の句集を衝動買い。
そして帰りに、ワタクシ、トウトウ買ッテシマイマシタ!
ロッキー・ホラー・ショーとスパニッシュ・アパートメントのDVD。
二つで1990円也。
で、これが木曜に書いた詩。
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今まで積み上げてきた差異のメランコリーが
名犬コリーの額で輝きを放っている
眉をひそめるのは誰?
下ったり上ったりする階段の数が
どうしても合わない
私はどの数を忘れてきてしまったんだろう
繰り返される7がちょうど365で
ぴったりなら 世界の非対称がどっと
押し寄せて 私はむたじと
忘却の押し入れ小僧にでも
なろうじゃないか
rの発音が苦手な穴から
ちょうど私のいない世界が見える
不在で成立する世界
かじられたメロンから涼しい風がすり抜ける
「差異のメランコリック押し入れの風」
: : : :
最近、ドゥルーズの『差異と反復』を読んでいる。
大体分からない。けど、無意識で蓄えられるであろうものに
期待する日々。
それから、テレビで算数が好きな少年を見た。
数がたくさん出てきて、増えたり減ったりするのが
面白いんだそうだ。そんなこと思いもしなかった、私は。
むたじは、おねいちゃんが私に託したヒツジのあったかぬいぐるみだ。
いつもむたじの下に携帯を忍ばせて寝ている。
WASABIでジャン・レノがrの発音を直すシーンを見た。
フランス語の穴にはrの発音がある。
そして、クライマックスはアボガドだ。アボガドのことを
いつも考えている。メロンと似た色だ。それなのに、ねちょねちょしていて、
嫌いだった。でも、今は好きだ。人生がアボガド色に染まりそうなくらい。
February 14, 2005
ぱらぱらと寝る前に詩を読む
今日はサンサーラという映画を見た。今週までだから、急いで見に行った。
どうしても日曜に見たいと思い、日曜に出かけていったのがそもそもの
間違いだった。
でも、映画は写真のように眼差しを切り取り、駆け抜ける記憶の断片を
繋ぎ合わせていくような、そんな映像空間だった。
見ているうちに、これは私の旅の記憶とどこかで交わるんじゃないかという
気分になる。後になっても、まだあのもしゅもしゅとした映像が私の目の奥で
行ったり来たりした。
ただ不思議なのは、最強にマナーの悪い観客の隣で、私はぷこぷこ
怒っていたはずなのに、見終わって時間を経ると、
どんどんその感情が映画に浸食されていくのだった。
良い映画を見た。非常に悪い環境だったが。
そうだ。湯船にコオロギみたいな虫が多数ぷかぷか浮いている夢を
見たのだが、それはどうやらストレスの表れらしいのだった。
正月に見た蛙に手を噛まれる夢と言い、何だか、あーいやだいやだ。
おお。そうだ。ベルクソンの『物質と記憶』とロルカ詩集を読み終えた。
でも、ベルクソンの方は延長とか持続とかのところがよく分からなかった。
ただ前半部分は割と分かった気がしたので、良いことにした。
ロルカ詩集を読んで、あー、他の詩人の詩集もこんな風に
ぱらぱらと寝る前に読みたいなと思ったのだった。
February 10, 2005
私は無性に映画を見たかったらしかった。
今夜はみそかつをこの店で食った。
友人とトニー滝谷(がらがらだった)を鑑賞後、三軒茶屋を散策。
包子職人による黒ごま包みを食べる。
ふかふかで黒ごまの香ばしさが口いっぱいに広がる。
February 7, 2005
「もうメロンどころか私もいない」
が
甘いコントラストのストライプ
め ま い を彩り始めた午後
5時に回
り出
す歌の歌詞がどうしても
思
い
出
せ
な
い
メロンは仲間のところに 帰 っ て い く
ちょうど坂道の下の 曲 が り 角の
裏
の路地で
バイバイした 影 の な い メロンだけが
ごろん と転がっていた
私も
ご ろ ん と転がった
お 腹 のところでメロンが
ぐ
るぐ
る歌っていた
そして ど こ ま で も
転
が
っ
て
い
く
夢 を 見 た
+ + + + + +
詩を書いてみた。
こんな文字列のような坂道の多い町に住んでみたかった。
詩的なものを私の中から排除しちゃならねぇという防衛本能から、
書くべきだと思ったのだった。どこまでも転がりたい。
February 6, 2005
お腹もだんだんと調子を取り戻している
最近の私を書こう。以前買ったロルカの詩集をぼんやりと読んでいる。
そこで「自殺」というタイトルの詩の後半のフレーズを引用したい。
塔が一つバルコンから見え彼は
自分をバルコンで塔だと感じた
箱の中で動かない時計が
彼を見つめるのを見ただろう
白い絹のソファにもたれる
静かな自分の影を彼は見た
こちこちの幾何学的な若者
斧のひとふりで鏡を割った
割ると大きな影がふきあげ
空想の寝室を水びたしにした
ロルカの詩集を読んで、ほとんどの詩が私には
よく分からないのだが、この詩は私にとって、ふっと沸いて
きたように入ってきた。
February 1, 2005
いや、もうおかしいぐらい
お腹の調子がおかしいのだった。
日曜に吐いて、熱出して、月曜はテスト受けに行って、
で、今日は朝ご飯を食べた後、
ふらーっと寝て、陽の光をうらうらと浴びながら、
目を覚ましたのだった。
そうだ。洗い立てのふとん一式と洗い立てのパジャマで、
まるで洗い立てのぬいぐるみのような気分でふかふか眠ったのだった。
午後は、アテネフランセの宿題をやり、久しぶりにリンガフォンもやった。
それから少し本読んで、シュルレアリストたちの手稿をテーマに扱った
論文集の序文を読み進めてみたが、1ページぐらいで断念。
また明日、読み進めよう。読みにくくはない。