August 29, 2007
んまそうな鶏がいた
散歩をしていたら、んまそうな鶏がいた。
写真を撮っていたら、おばさんが猫のえさをやっていた。
前にも、この鶏は追い回した記憶がある。あの時は、低木の中を
行ったり来たりして、わたしが反対側へ回ると、元の方に顔を出し、
わたしも戻ると、反対側へ行き、を繰り返したら、低木の中で
じっとしていた。ちょっと身の危険を感じたのかもしれない。
でも、もうその低木も切られてしまったので、ただそこで
じっとしていた。
こんな鶏がいるなんて、どんな田舎だよ!?と思って、姉にメールした。
まさにそうだと言っていた。
August 28, 2007
何をするというわけでもなく、ただうろうろする
youtubeで電気グルーヴのNijiを見た。バリ島から生中継。
たぶん若い。映像がどことなく古めかしいと思ったら、
本当に古かった。
ステージ上で歌うでもなく、機械を操作するでもなく、
うろうろしている人がいる。
ライブの最後にステージ前方のプールに飛び込んで、そこで、
ああ、やっぱりピエール瀧だと思ったのだけれど、しかし、
それにしても、うろうろして最後にプールに飛び込むだけの仕事、
そういう仕事でお金をもらっている人もいるのだと思うと、
何だか安心した。励まされた。
けれど、あのうろうろしている姿は、台所でつまみ食いをしている
人みたいで、本当にうろうろしていて、えーと、まさに
うろうろしているとしか言いようのない、うろうろだった。
August 24, 2007
在庫がないので、おびき寄せなければならないだろう
テピロどんの二の腕の内側が気持ち良い。
お風呂上がりとかにくんくんすると、ふもふもして
石鹸の匂いがする。
それはそうと、この前、スーパーでカートに入れた商品を
指さして、おねいちゃんが「おいちいよねぇ」と言った後に、
「おいしいよねぇ」と言い直した。そこにはテピロどんは
いなかったから、誰のための赤ちゃん言葉なのか。
と思ったら、別の日にわたしもやってしまった。
おねいちゃんがあいこも近くに住んでたら良いのになぁ、
大塚にずっと住んでれば良かったのにと言う。
それはむつかしいと言ったつもりが、むつかちいになっていたらしい。
話がそこでむつかちいの方に向かい、ちいちいとなってしまった。
傍らでテピロどんが寝ていた。すぴよすぴよ。
そんな音はしてなかったが、そんな感じだった。
そういえば、おねいちゃんが寝起きにお父さんにお母さんは
いつ出かけたのかと聞かれて、寝ぼけてて思い出せなかった。
というのを聞いた、寝ぼけ眼のわたしは、皿を洗いながら、
いつのことだか〜おもいだしてごーらーん〜
と歌った歌声はか細く、しかもわたしの意思とは別に、
半音かそれよりも微妙な割合で下がっていった。
へろへろじゃないか、と言われた。
右下がりのメロディーを歌っているうちに、だんだんと目が
覚めてきて、もう右下がりじゃなくなった。
あの不可抗力で右下がりになるメロディーをまた聞きたい。
August 18, 2007
血祭りと化したlinux祭、 上司に電報で連絡する
パソコンにlinuxを入れる。Vinelinuxでlinux祭が血祭りと化したので、
早々とubuntuに乗り換える。
Vinelinuxはすごかった。firefoxも立ち上がらないし、CDも焼けなかった。
大きい音楽ファイルを一遍にたくさんコピーしようとすると、すぐにフリーズする。
Windowsが何百人体制だとしたら、Vinelinuxは間違いなく一人だった。
大量のファイルを前に、えー、そんなにたくさん、一遍には無理。
ちー、疲れた。と言われているようだった。
何度も再起動する。
で、ubuntuに変えてからも、rootという上司に電報で連絡する
ということは変わらない。色々なものをインストールする時に、
上司に電報で連絡する決まりなのだ。ただ上司は英語しか喋れず、
たまに使う日本語は、not foundごめんなさい。
みたいな日本語。ってかそれは日本語じゃなくて良い。
昨日はぱぱこに焼いてもらったubuntuがイメージファイルで起動せず、
途方に暮れ、目の前のにんじんを剥奪された馬になり、
ばかたんのディレクトリに頭から突っ込み、
一郎さんの牧場でを歌った。
人は、窮地に陥ると、際限なく陽気になるのではないかと思った。
August 13, 2007
偉大なるポンパ、そのポンパを胸に抱き続ける
アサッテの人。という小説を読んだ。
あらすじは、アサッテという感覚を生きる叔父を、
叔父の残した日記や、叔父の亡き妻との思い出のスケッチによって、
描く。前半はほんわかアサッテ、ぽっと湧いて出たポンパ、
後半はポンパの流れに如何に自然に身を任せるかについて苦悩する。
そして、もはや、ポンパ、空にさ迷うポンパを必死になって、
掴み取ろうとするダンスで幕が閉じる。一握のポンパ。
ポンパという言葉の発声によって、意味を剥奪された空間が、
こんなにも美しく現存することがあるのだ。
と思った。
姉と大塚にいた時に、パオだパオだ。とか言っていた、あのパオ
みたいな懐かしい響きがポンパにもあり、わたしはすっかり虜になってしまった。
August 7, 2007
石器時代より遥か遠くフォアグラを食べる
昨日はこんな夢を見て、目が覚めた。
黒テントの「星の一日」という芝居が、
民家の家の押入れの天袋が入り口になっている劇場でやっていて、
そこに行ったら、この芝居を見るのは二回目だけれど、
見たかった別の映画(近くでやっている)ではなくて、
こっちを見に来て良かったと思った。
押入れの天袋が入り口になっていて、布団をぎゅうぎゅう
かき分けながら、入っていった。何だか本当に黒テントぽかった。
朝寝ぼけながら、その話をおねいちゃんにしたら、
ナルニア国物語の家のクローゼットからナルニア国に通じているって
いうのに似てて、いいねと言われた。うん。とても素敵だ。
素敵ファンタジーだ。と思った。
この前会ったぺんてるからいただいた、ワインとフォアグラをみんなで
ごちそうだーい、わほいわほいと言っていただいた。
ビバ。フリントストーン。
August 4, 2007
気づいたら、お父さんと赤ちゃんの接し方がいっしょだ。
ぺんぱるがあだ名をつけてくれない?と言うので、適当に
ぺんぱるの名前の一部を取って、ぺん太郎、ぺん吉などとつけて、
ちょっと変な感じだけど、音的にはかなり良いと力説したら、
納得してくれたようで、センスが良いねと勘違いしてくれた。
たぶん、日本人じゃ、きっと、こうは言わないだろうとおもう。
トムヒコとか、カティエとかと同レベルだし、実際にそんな風に呼ばれてる
人がいたら、にやにやしてしまうかもしれない。
でも、実際に呼んでみたいし、わたし以外の人も笑って欲しい。
そうすれば、少し世界が幸せになったりするはずなのだ。
悲劇的な大惨事が起こっている世界のどこかで、
何か素敵なことが必ず起きている。
確か、カート・ヴォネガットのインタビューで彼がそう言っていたと
思っていたのだが、読み返しても見当たらない。
その言葉を読んだから、その雑誌を買ったのに、
雑誌を買った動機のものが紛失する。
August 1, 2007
言おうか言わないか迷ったことはすごく頭に残る
先週はお母さんが怪我をして、大変だった。
おねいちゃんは赤ちゃんの世話で忙しかったし、結局、
飯作ったり、皿洗ったりで忙しく、忙しさで大変寂しい思いをした。
それはさておき、ヴォネガットの本の値段が鰻上りだ。
参った。読みたいけれど、高い。ちょっと昔に出た文庫本なのに、
アマゾンのマーケットプレイスで4000円とかする。ありえない。
ヴォネガットが亡くなって、追悼特集がSFマガジンで組まれて、
たぶんそのせいだというのは分かる。分かるんだが、わたしも
読みたいのだ。あー、まじょりてぃー。
おねいちゃんが以前帰ってきたばっかりの時くらいに、
お母さんの服を着ていたら、あれ?お母さん?と思ったら、
おねいちゃんだった。
あと、よくTシャツを後ろ前反対に着てて、あれ?昨日は
後ろ前反対かと思ったら、今はちゃんと着てるとかいうことが
何回かあって、すごく試されてる気分になると言ったら、
そんなことないよ〜と言われた。
大したことないのだけれど、言おうか言わないか迷ったことは、
言ったことや言わなかったことよりも、すごく頭に残る。