May 31, 2006
いざ注文する段になって
白い毛並みが空調でわずかにそよいでいたような気がした。
ミッチャンは、アリクイの毛並みの輪郭を目で辿っていき、
つぶらな瞳がぱちぱちと瞬きしたので、そちらの方に視線を
奪われた。
「・・・えーと、」
と声を発してから、ミッチャンは自分が何を頼みたいのか
分からなくなっていることに気づいた。
「オススメは何ですか?」
と聞くと、もじもじとなって、アリクイは、
「・・・盛り合せとかどうですか?」と言う。
「じゃあ、それ、お願いします。」
と言ってから、ミッチャンはほっと一息をついた。
盛り合わせはハムレットだった。厳密に言うなら、
図解されたハムレットか・・・?
薄く切られた半透明の鯛やイカが幽霊の叔父を
表していて、一見無造作に配置されたイクラやエビなど、
それはおそらくハムレットでそのまわりにマグロやカツオで
死に絶えることになる一連のキャラクターがいた。
おろしショウガをつけて、カツオをいただく。これは、
ホレイショだろうか。いや、ホレイショはロミオとジュリエットだったか。
などと思いながら、口に運ぶ。
誰が死んで誰が生き残ったのか分からないけれど、
皆いずれカツオになるのだろう。そんなことを思いながら、
そのうち、何だか分からなくなってきて、ただひたすら刺身と
醤油の間を箸が往復した。
: : : :
またまたデタラメなことを書いている。
ハムレットに出てくる幽霊は、ハムレットの叔父じゃなくて、
ハムレットの本当の父親だ。ただ、叔父がお母さんと
結婚したものだから、死んだ実の父親が叔父になってしまった
とも言えるかもしれない。どちらでも良い気分になってきた。
ちなみにホレイショ、ハムレットに出ている。
あとで調べて知った。
最近、教養試験が終わったら、慌ただしく、あっちへ行ったり
こっちへ行ったりしていたら、ふらふらになってしまった。
今日は、文学の勉強をしに、図書館へ行く。
4時くらいに眠くなって、休憩休憩と思って、アリクイさんの話を
書いていたら、夢中になって、一時間くらい書いていたかもしれない。
そんなことをしているから、なかなか捗らないのだった。
May 26, 2006
ミッチャンがくんぱちさんの店に来る
ミッチャンがくんぱちさんの店に初めて現れたのは、
まだサクラが咲いてなくて朝晩はよく冷えた時期だった。
ミッチャンが仕事の帰り、自宅へと向かう通りを歩いていると、
その前を紺色のはっぴを着たアリクイがてってってと歩いているのだった。
後をつけたというわけではないのだけれど、アリクイの歩幅が
小さいものだから、ミッチャンが急がなくても差がだんだんと
縮まっていった。何だか面白くなって、アリクイを見ていると、
その先にほんのりと明かりが竹やぶの間から見えた。
その中へアリクイがてってってと入っていくものだから、
竹やぶの間からそっと中を覗くと、アリクイが寿司を握っている。
ミッチャンはたまらなくなって、寿司屋くんぱちののれんをくぐった。
店内に人はまばらで、あちこちでひそひそと静かに寿司を食べていた。
ゆるりと昭和歌謡が流れていた気もするし、ジャズが天井や壁に向かって
はねたり飛んだりしている気もしたし、あるいは何の音もなかったかもしれない。
ざらざらとした壁にメニューを書いた板が等間隔に吊るされていた。
吊 吊 吊 吊 吊 吊 吊
マグロ、鯛、カツオ、イカ、タコ、甘えび、イクラ、
アナゴ、ホタテ、ウニ、中トロ、アワビときて、
あれ?と思った。
アボガドロ定数巻、盛り合わせハムレット、
短いものも巻かれろ、チャチャチャ茶漬け、
大いなる白の逃走劇・・・
さっきまでミッチャンの前方をてってってと小走りで
入っていったアリクイが、お茶の湯呑みを差し出した。
湯気の間から映り込んだ緑色のアリクイが見える。
ミッチャンが目を上げると、正確な遠近法の白いアリクイがいて、
彼女から何か言い出すのを待っているようだった。
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ずいぶんテクストがたまってしまったので、連日更新する
ことになってしまった。勉強シテルノカ疑惑。
今日の私というか、最近の私は自分の年も数えられない。
厳密には年齢というものに対して注意を払ってないのだと思う。
シビラの服をいつも着ているミワコさんに、ナントカっていう曲は
昭和ウンタラ年の曲なのよ、あなた、まだ生まれてないでしょう?
と言われたのだけれど、ギリギリ生まれてませんね〜、いやでも、
生命は宿っているかもと適当なことを言ってしまった。
よくよく考えてみると、姉の生まれた年じゃないか。
生命が宿っているのかもしれなかったのは姉だということに
気づいたら、とうとう私は数えられなくなってきた。と思った。
私はギリギリどころか、全然生命のかけらすらない。
そんな私がスターバックスでアリクイの話を書いていたら、
隣の女性がもう私、読まないからあげますと言って、
週刊誌をくれた。
よく分からないが、最近は気安く人に話しかけられる。
May 25, 2006
寿司が並べられていた後のアリクイ
「召し上がれ」とおじいさんは言う。
アリクイは両手を合わせてイタダキマスをして
食べ始めた。
寿司が口の中でとろけ、宇宙遊泳をした後、喉の奥の方へと
踊り歩いていく。おいしさのあまり、鼻から息をふうと吐いた。
「どうだい?おいしいかな?うちで働いてみんしゃい。
白いの。」
とおじいさんは言う。
こうして、そんなわけで、アリクイは
くんぱちさんの寿司屋で働くことになったのだった。
初めの頃は、アリクイは何をやっても駄目だった。
床のモップがけをしているうちに、モップと椅子の間に入り込んで
抜けなくなってしまったし、皿洗いも腕が短いためにモタモタして
しまうのだった。
そんなアリクイがモタモタしているところへ、くんぱちさんが何やら
鼻歌をふふんと歌いながら入ってきて、いきなり
「月ではね、時が六分の一の速さで過ぎ去るんだそうだよ、
白いの。知ってたかの?ほいほい」
と、おじいさんは笑いながら言った。
アリクイはそうなのかなぁと思いながら、
くんぱちさんが月面で握る寿司たちが宙をゆっくりと舞い、
くるくると落ちてくるのをぼんやりと想像していた。
いつの間にか、皿を拭く手が六分の一の速さになっていた。
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最近の私は、Hzだのkwだの、隠語を作って楽しんでいたが、
その隠語が示す意味が分からなくなって、角ちゃんに
Hzって何?と聞かれてしまった。隠語の意味がない。
あと、試験と試験の合間でやる気が吸い取られた私は、
ジャームッシュのブロークン・フラワーズを見に行った。
ピンクの記号とどうにもならないビル・マーレーの生え際が、
まさにこの映画を象徴しているのかもしれない。
ユーモアが湯気にかき消されてからからと回り、
ただ哀しいのだけれど、その実感はない。
そんなロードムービーだったと思う。
勉強をするべきなのだろうけど、自習型にシフトしてから、
休憩と称してアリクイの話を書いてると、そればかりが
むくむくと膨らんでいく。
May 21, 2006
こんなところで
試験を受けてきた。アルファ波の行水。
この前、駅前の道で、ちっちゃい子供連れのお母さんが、
そっちじゃないよと言っていた。
そっちじゃないよ。ちっちゃい子たちが、わらわらとお母さんの
方に向かっていく。
それを見ながら、おねいちゃんは、ちっちゃくなくても、
そっちじゃないと言われていたなと思った。
と話したら、ばたばたと叩かれた。
そして最近は、この万年筆が
欲しくてたまらない。
インクが減っていくと、柄の部分がグラデーションになっていく。
May 20, 2006
またまたアリクイの話。
そんなある日のことだった。
ぼんやりとしたスーパー帰りの午後。
陽の光を浴びて、世界の輪郭がもったりと昼寝をしている
ところに、とろけるようなおじいさんの声が聞こえた。
「おい、そこの、白い・・・、白いの。お前さん、そう、
白い、そこの・・・」
アリクイという語を忘れて、何だかもどかしいようだった。
いや、もしかしたら、単に知らないだけなのかもしれない。
おじいさんは紺色のはっぴを着て、何だか板前さんのようだった。
「ちょいと、ついてきなさい。」
アリクイは手を引かれて、竹で囲まれた寿司屋の中へ入っていった。
そして、カウンターに座らせられて、おじいさんが次々と握っていく
寿司を目が回るような思いで見つめていた。
おじいさんの手がくるくるっと宙を舞ったかと思うと、
ポンと寿司が飛び出してくる。
くるっと丸められて、ぴょいっと無重力空間に放られたような
気持ちになった。
気づいたら、アリクイの前にはずらりと寿司が十貫ほど並べられていた。
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試験に備えて、脳みそは休職中。
ポリプロピレンとか本当に覚えられない。
今日も自習室で頑張ったけれど、腰を休めるために、
銀座に行った。
銀座は歩行者天国で、文房具を買おうと思ったのだけれど、
結局何も買わなかった。
プランタンでシザーハンズのミュージカルのプロモーションをやっていた。
マシュー・ボーンが演出してるらしい。
何かエドワードは筋肉がある感じで、何だ、えーと、ほら、
イスラエルのアイスダンスのサフノフスキーさんみたいだった。
何だかハイド氏になっちゃったみたいなエドワード。
そうだ。私はあのサントラ買ったな。でも、今はどこにあるのだろうと思った。
もしかしたら、売ってしまったかもしれない。ダニー・エルフマンの。
とか思っていたら、雨が降ってきて、しかも土砂降りで。
傘だ、傘だと思って選んでみたけれど、街で見かけた人が差していた
傘が欲しくなって、そんな感じのありますか?と聞いたら、色々探してくれたの
だけれど、ないですね〜と言われてしまった。
May 15, 2006
またアリクイの話。
会社へ行くと、「アリクイを雇った覚えはない」と言われて、
解雇された。アリクイになってしまった以外、
何も変わったところはないと言っても良かった。
それなのに、同僚だった人々が彼の容姿をちらっと見ては、
にやにやしていた。いつもは話すこともないような女の子も
気軽に彼の身体を撫でた。
何だか本当にアリクイになってしまったような気持ちになった。
どうすることもできないので、机の引き出しのものなどを
ごちゃごちゃと詰めたダンボールを持って、帰ることにした。
仲の良かった同僚が「何とかなるよ」とポンと背中を叩いてくれた。
帰り道、ダンボールの中がカラカラと寂しそうな音を立てていた。
次の仕事は次々と決まった。アリクイだからという理由で決まるものの、
結局一日やそこら働くと、アリクイだからという理由でクビにされた。
ただ、アリクイになった分、色々な人が彼のことを心配してくれたのかもしれない。
近所のスーパーのおばさんまでもが、「アリクイさん、大丈夫?
最近、ちょっと顔色悪いけど?」と声をかけてくれた。
実際、その頃の彼はすさんでいた。まるで萎びたスルメのようだった。
積み重なる人間不信や、どうにも説明できない身体性、外と内との問題が
一気に山積みになって、ひとつの丘を形成し、彼をほったらかしにしたまま、
ナンチャッテ戦国時代を繰り広げていた。
彼はその丘の上で、来る日も来る日も夕方を過ごしていたのだった。
: : : :
最近のトピック。
今、政治経済が眠い。
テキストを開いて、先生を見た途端、
眠くなる。世界がゆるりと眠い。
授業の後、とても脳みそが冴えているような気がするのは、
気のせいだろうか。
冷蔵庫にバナナを入れていたら、色が変わった上に、
野菜のように硬くなった。
おねいちゃんからいただいたロールケーキに二日でカビが生えた。
そして、なかなか本屋にたどり着けない。駅前の本屋レベルでは、
今読みたい本がないらしく、ダメなのだった。
仕方がないので、種村さんの編纂した東京百話を読んでいる。
これはこれで、こんな状況でもない限り、読まないかもしれない。
May 11, 2006
地下鉄の中でアリクイの話を書いた
朝、ふとんの中でまどろみながら、彼は何だか自分の足が
短くなってしまったような気持ちにとらわれた。
もうすぐ雄叫びをあげるはずの目覚まし時計のスイッチを切り、
のそのそと洗面所へと歩いていく。
以前から自分は小柄だと思っていたが、これほどまで
小柄だったろうかと思った。
洗面所の明かりをつけると、薄汚れた鏡に、白い、毛むくじゃらの
アリクイがいた。アリクイだ。
アリクイになってしまった。アリクイは・・・、顔を洗うんだろうか。
と彼は思った。けれど顔が長すぎて、手が届かない。
ひとまず蛇口をひねって、水をすくって、ぺやっとつけた。
これでよしということもないけれど、それが限界だった。
タオルでゴシゴシと拭き、首にかける。
けれど、なで肩のせいで、ずるずると落ちてきた。
アリクイは通常、何を食べるのか知らないけれど、
とにかく冷蔵庫にあるものを食べる。
いつにもまして、食欲が旺盛で、もりもり食べた。
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今日は宙吊りにされた¥300など、色々あったけれど、
ぼんやり水道橋から川を見る。
昨夜はよく眠れなくて、第四次中東カレー戦争などと
妄想をむくむくと膨らましていた。
カレー戦争とか言ってる場合じゃない。
今日は眠くて、裁判とか憲法とか聞きながら眠りこけてしまった。
May 9, 2006
夢の中でスーダンスーダンとうなされていた。
もうかれこれ三日くらい会話をしていない。
でも、声は発しているし、歌だって歌い放題だ。
一日の中で聞こえる自分の声の大部分が歌になり、
そうなってみると、自分はこんな声をしているのかと思ってしまった。
ただ四六時中、脳内で言葉が巡り、しばしば世界との境が曖昧になる。
そして、誰とも会っていない日の方がおそらく、寂しくはないのだ。
そこには寂しいという概念が希薄であるか、あるいは、
ひとりでいて寂しいと思っている自分は、少々浪漫主義的な気がして、
寂しいという感情がすっと沖の方へと引いていってしまう。
そして私はひたすら勉強をしているような気もする。
何かこんなに、ただ一つのことに向かって、何かをずっと
朝から晩まですること自体、自分には程遠いように
感じていたけれど、いざそれしかすることがないと、
それしかしないものなのかもしれない。
何だか空だ空だと思うような気もするけれど、何の実感も
湧かないので、地下鉄の中で私は本を読み、
アリクイさんに算数を教えてもらったことを考えていた。
アリクイさんは、かんぴょう巻を使って分数の計算を教えてくれたの
だけれど、結局かんぴょう巻はぐしゃぐしゃになってしまい、
分からなくなってしまったので、二人でちらし寿司にして食べた。
っていうのは面白いんじゃないかと思う。
May 4, 2006
坂を下りながらボラーレと歌う
姉が結婚して、名前が変わったものだから、
そうだ。携帯の登録を変えなきゃと思ったら、
おねいちゃんで登録してあった。
おねいちゃんは、依然としておねいちゃんなわけなのか。
思ってみれば、私は人生の中で不必要に、おねいちゃんおねいちゃんと
言っていたように思う。
実際、本当に必要でない時も、おねいちゃんおねいちゃんと言っていた。
おそらく、私という単語よりもおねいちゃんの方が多く発音されていたのではないか。
私にとっては、無意味におねいちゃんと発音することで、
満たされる何かがあったのではないか。
おそらく、それはおねいちゃんという存在を超えた、おねいちゃんの宇宙。
正確には、おねえちゃんと表記すべきところを、おねいちゃんにしたのは、
その発音に限りなく近づけようと思ったからではなかったか。
そして、おねいちゃんは私の中でパジャマを着た、いつも寝ぼけている
ような、それでいて、私が寝ている間にシャカシャカ何かをしている、
そんな存在だったのだと思う。
そして、私が知らぬうちに使い分けていた姉という単語は、
おそらくおねいちゃんの社会的存在を表すものなのだ。