February 27, 2007

幸せのかたち

長いこと日記を書く気持ちにはなれなかったんだけど、今朝フルーツジュースを作っていたら突然思いついたので、書こうと思う。あいこぱの投稿ばかりだったから、ちょっと違和感を感じるかもしれないけど・・・

* * * * *

最後に日記を書いてから、結婚・妊娠・・・と色々変化があったけど、
最近は・・・自分でも分かるぐらい幸せだと思う。
(お腹の)中の人もぺくぺくしたり、ぐるぐるしたりしていて、何だか可笑しい。


何でこんなに幸せだと感じるのだろう?

仕事を辞めてから、日々、ごはんを作ったり、洗濯したり、お掃除したり・・・と何か特別なことをしているわけでもない。でも、ごはんがおいしく出来たときや、おじたん(旦那)が褒めてくれたとき(何故か23点満点で評価)、ぴかぴかのお風呂に2人で入るとき、お堀沿いを散歩するとき、自分で作った料理をおばあちゃんの家や実家にあげるとき・・・何でもないことなのに、幸せを感じる。

思い起こしてみれば、大学のときも仕事をしていたときも、自分のことだけにいっぱいいっぱいで、誰かのために何かをすることがほとんど無かったのかも・・・お金はあったから、誰かのためにモノを買うことはあったけど、達成感とは違うしやさしさとも違う。また、仕事も忙しかったから、おじたんにも十分に料理を作ったりしてあげられなかったし、家の掃除もままならなかった。

そう考えたら、浪人してたときに、初めてマンガを描いたときのことを思い出した。
あの時は、あの予備校に通っていて私はそれまで経験してこなかったような人間的な体験をもらった。だから、予備校に通っていた人たちを励ましたい、そう思ってマンガを描いた。
その後、もう一度その時の幸せを感じたいと思い、マンガを書き続けたが、観客不在のマンガに達成出来るはずもなく・・・


生き甲斐を感じるときは、人それぞれだと思うけど、私は他の人から必要にされたいって気持ちが強かった。自分が誰かのためにしたことで、他の人が変わるor喜ぶことが、私にとっては幸せなんだと思う。

この間、おじたんの実家に帰ったときに、ごはんの支度を手伝おうと思ったんだけど、おじたんもお父さんも妹さんも手伝わないから、不思議に思っていた。うちでは、ごはんの支度や掃除、洗濯もの干しなど家の仕事を家族全員がやっていた・・・だから、ままこの手伝いをすることがやさしさだと思っていた。
でも、おじたんの家では、お母さんとおばあちゃんが家のことをすることが、お母さんのやさしさなんだと思った。実際、自分の実家に帰ったときよりも、ゆっくりした気がする・・・(自分の実家に帰ると逆に色々してあげたい気持ちになってしまって、あんまりゆっくりできないのかも;)
・・・・・・やさしさを貰うのも幸せだと思った。

何て言うのか・・・そこにやさしくしたい人・やさしくしてくれる人がいるから、幸せを感じるのだと思う。


中の人も、おじたんの実家・うちの実家・おばあちゃん&おじいちゃん・・・など沢山の人から祝福されて生まれてくるのに幸せになれないわけ無い。と何となく感じている。
・・・自分も昔こんな風にみんなから思われて生まれてきたのかと思うと、胸が詰まりそうになる・・・

まだ、大変なのはこれからだと思うけど、きっと新しい体験も沢山あると思うし、ときどき日記を書いていこうと思う。

* * * * *


私は結構つわりが重かったので、今後誰かに役立ててもらえればと思いちょっと書いておきます。

つわりは病気じゃないし、時期が来れば治まるから、とつわりを軽くする方法についての情報があんまりにもないので、私が効果があったのを幾つか・・・もう、これらをもっと早く知っておけば、2ヶ月近く寝たきりにはならなかったと思う・・・

1.シーバンド
 ・・・船とか乗り物酔いを止めるリストバンド。気分は悪くても、吐きそうな感じはぐっと減った。東急ハンズとか楽天で購入可能。

2.病院で点滴してもらう
 ・・・水も飲めない酷いつわりでないと病院ではあんまり進めてくれなかったけど、点滴をしてもらった後は結構回復したので、日常生活に支障を来す場合は打って貰った方が○。点滴なら保険もきくからお金もかからないし。

3.氷・シャーベット
 ・・・水が飲めなくなると危ないので、飲まないといけないが、液体は吐きやすくなってしまう。でも、氷やシャーベットになっていると何故か吐かなかった。


個人差があって、氷も吐いちゃう人もいるので、入院するほどの人には効かないと思うけど、四六時中気分が悪いのはかなりしんどいので、つわりが重めの人はぜひお試しを・・・

投稿者 hiro : 9:33 AM

February 26, 2007

早すぎる兆候、新宿地下道でリバティ蕎麦の匂い

昨日は角ちゃんの日だった。
日曜の寂れたリバティで写真を撮ってもらう。
ヨガのポーズも色々、教えてもらった。
じゅうたんの床に頭をつけて、倒立みたいなポーズをしてくれた。
気功の先生から気を送ってもらっている時に、先生が回って一人一人
送っていると思って、薄目を開けたら、遠くの方で先生がみんなに
気を送っているのが見えたと言っていた。
胎児のポーズ?みたいなやつをやっている時に、周りをこっそり見渡したら、
みんながしびれた足をもぞもぞやっていて、可笑しくなったと言っていた。
一人だけ笑っている。そんな時、あるよね。と二人で妙に納得。
それから、新宿へ。クオカでチョコレートを買う。
角ちゃんと前世の話をする。
前世は何だったと思う?と聞くので、
えー、何だろう。アイスランド人とかフィンランド人とかがいいな。
いや、希望じゃなくて、何だった気がする?と言われたので、
フィンランド人には並々ならぬ共感を感じると話したような気がする。
じゃ、来世は?と言うので、
人間じゃなきゃダメ?たぶん犬だと思う。
気づいたら、犬の尻、追いかけてるし。と言ったら、
もう兆候が現れてるのか、早過ぎないか。と言われた。

投稿者 aikopa : 9:48 PM

February 24, 2007

複数形を訳出することへの渇望

Beckのmutationsというアルバム名について考えていた。
私はずっと、mutationsはmuteの名詞形とかで、ミュートした、
音がなくなった世界でも残る、そんな音楽についてのアルバム、
なような気がしていた。
でも、mutationsってそんな意味じゃない。突然変異たち。
厳密に複数形も訳出すると、こうなる。
それとも、彼は突然変異した気持ちだったんだろうか。

それから、たちで思い出したことがある。
イーストウッドの『父親たちの星条旗』という映画タイトルを、
ずっと『星条旗たちの父親』みたいな感じのタイトルだと思っていて、
おねいちゃんに笑われた。
さすがに星条旗たちっていうのはないだろう。と思ったらしい。
でも、昨日会ったおねいちゃんは、『ドリームガールズ』の
タイトルがうるおぼえで、エディ・マーフィーとかビヨンセとか、
ジェイミー・フォックスの出てる『ショーガール』って言ってた。
『ショーガール』は90年代のポール・バーホーベン監督の
ちょっとB級な感じの映画だ。
いつか、うるおぼえタイトルで埋め尽くされた、
空想ビデオショップを作れないだろうかと思った。

投稿者 aikopa : 10:35 PM

がちょーん。

新宿三越のフランフランで、青いもさもさのブランケットを見て、
それがあまりにも、お母さんの青いフリースの青、そのままの色で、
それで、あ、これ、お母さんだよ、お母さん、ほら。と
おねいちゃんに言ったら、あいこ、それはお母さんじゃないよ。
と諭された。

昨日はイカとクジラ、見に行った。
脚本が確か、『ライフ・アクアティック』の人で、それで見てみたいと
思っていたのだった。
両親が離婚して、家族全体がぐちゃぐちゃになっちゃうけど、
でも、ぐちゃぐちゃになりながらも、何とかやっていこうとするわけで、
でもそれを深刻に描くことなく、どちらかというと、軽い。
僕らは離婚することに決めたんだ。
えー、猫はどうなるの?みたいな。
でも内部は深刻なことになっていて、頭を池に突っ込んだりする。
でも、飛び込まない。帰ってくる。普通に。
それが良い。飛び込まないのは現代的だと思った。
淡々としてて、でも、哀しい分子が込みあがってくる。
その哀しい分子が、ひとまず、言葉にはならない、複雑な感情を
払拭して、最終的にやはり、ここにいた。自分はやはり、ここにいた。
って思う映像で終わって、それが、感情のダイナミズムの最高点で
良かった。と思った。

投稿者 aikopa : 10:59 AM

February 22, 2007

なぜだかコーナーショップを聞きたくなったのは

やはり、彼らがインドにルーツがあるせいかもしれない。
今日は角ちゃんに会ってきた。
始めは二人とも何から話していいのか分からず、むんぐむんぐ
していたけれど、そのうち、会話の車輪がくるくると回りだして、
宇宙とコブラと瞑想、七つのチャクラ、あれ、チャクラかな、
とにかく、ぱかっと開くっていうのと、いい匂いのお香と、
屋上のレストラン、食器洗い用のスポンジを売りつけられて、
それで身体を洗ったことについて聞いてきた。
ヨガの先生に、瞑想してるのか寝ているのかわからないんですがと
角ちゃんは聞いたらしい。いい。すごくいい。
角ちゃんはインドをさ迷っていたけれど、私は日本で
血迷っていたよ。などと私は言っていた。
そして、今、また小説を新たに書き始めていて、そこで、
私は、りぼんみたいな内容をすっちゃかめっちゃかな文体で
書いているのだけれど、その文体が、たぶん、
探していた文体で、詩を書くのをやめて、ずっと小説は
分かりやすい文体で書かなければならないのだという強迫観念と
ともに鬱屈した、何かがあったのだけれど、
それからすぱっと解放されて、たどり着いた気がして、
で、その話をしたら、何だかコトンと落ちてくるものがあって、
なぜこの話を今まで姉にできなかったんだろうと思ったら、
プリントされてきた写真に、路地と路地に挟まれて、
小さく写っている姉の写真を、私はじっと、じっと見入ってしまった。

投稿者 aikopa : 11:28 PM

February 20, 2007

チンクエって言っていたように思う

ポーランド映画を見た。『夜行列車』。イエジイ・カワレロウィッチ監督。
59年。すてき。5秒で釘付けになった。すごい。
いや、それとも、最近、映画を見てないからだろうか。
夜行列車の中で男女がくっついたり、はなれたりする。
でも、すべては抑えられた、抑制された感情があり、
あるいは、絶望による感情の喪失か。けれど、空気を吸う。
誰も死んだりしない。妻を殺した殺人犯についてのニュースが
すべてを引き合わせて、電車に揺られながらも、
もつれあった糸がぱらりぱらりとほどけていく。
そんな感じだった。
沈黙の間を、言葉がぽつんぽつんと落ちる。
何もないところを列車が走る。海へ。海へ。
簡潔なシーン展開によって、同じ頃のハリウッド映画を鑑賞時に
伴うような肉体的倦怠感がない。
けれど、出てくる人、出てくる人が、ありがとうと言った時に
チンクエって言っていたように思ったのだけれど、
イタリア語の5をチンクエと言うのに似ていて、あれれ?
とちょっと思った。

投稿者 aikopa : 3:23 PM

February 16, 2007

気づいたらタロウドッティルなんてことを考えている

アイスランド人の名前(サイトの下の方)について考えていた。
父親の名前に息子は-son、娘は-dottirをつけるらしいのだけれど、
で、例えば、父、母、兄、妹、みたいな家族構成だと、全員、
苗字が違うということになるらしい。
で、思ったことは、つまり、結婚しても、名前が変わることはなく、
また、だからこそ、離婚しても名前が変わらない。すげぇ。
ずっと、おなじ。
でも、気になるのは、父親が例えば日本人で、すずきたろうとか
いう名前だったときに、息子がタロウソンとかになるのは、本当にかわいそうだ。
いや、すごい。すごいんじゃないか?娘のタロウドッティルもすごいけど。
でも、あれだ。苗字だけじゃ、家族が判別できなくて、
一緒に住んでるけど、家族じゃなくて、居候って場合もあるし、
前の夫の息子とか、何だかすごく紛らわしいんじゃないかとも思う。
でも、紛らわしいのだけれど、たぶんそこには、何というか、文化、
文化があって、家族なのに、ひとりひとりが独立心に溢れた感じ
なんじゃないか。と思うのだけれど、どうなんだろう。気になってきた。

投稿者 aikopa : 2:45 PM

February 14, 2007

火曜と木曜と火曜だ。

イヨネスコの『禿の女歌手』に出てくる、私の好きなフレーズだ。
主人公の老夫婦の無数の親戚(みんな名前がボビー・ワトソン)の中の
セールスマンをしてるボビー・ワトソンが、競争相手のいない日しか
仕事をしないらしく、その曜日を聞いたときの答え。
週に三日も!?とか言ってるけど、実際には二日だ。
しかも、今、読み返してみたら、競争相手がいる日は、
休んで、寝ている。らしい。かわいい。

で、なぜ、このフレーズのことを思ったかというと、
そうだ。こんな風に、自分の言ったことを、すっかり忘れて、
繰り返しちゃう人は、なんともかわいいと思ったからだった。

それから、おねいちゃんにまた間違ったことを教えたことに
気づいた。
この前、もんじゃを食べに行った時に、最近、スポーツニュースが
面白く感じられるようになってきたという話をしていて、
でも、面白くなってきたのに、厳密には意味が分からない言葉がある。
という話になって、それが、野球選手がキャンプインして、
投手がキャッチボールをした後に、グルテンに入って練習する。
そのグルテン?が、たぶん土のあるところなんだと思うんだけど、
と話した私。
なんか、でんぷんみたい、とおねいちゃん。
昨日あたりにニュース聞いたら、グルテンじゃない、ブルペンだった。
でも、ブルペンは全然、わからないけれど、グルテンならちょっと分かる。

投稿者 aikopa : 9:14 PM

February 12, 2007

フットサル化する世界

フラット化する世界という本を読み間違えた。フットサル。
パンダの双子が生まれたニュースで2、3日盛り上がる。
盛り上がっていたら、こんど、いつパンダ作るの?
と言ってしまったけれど、ままこにはちゃんと、
いつ、パン焼くの?という意味で伝わっていたようで、
明日かあさってという答えをいただいた。
チョコレートのトリュフを作ったら、なぜだか、うんちみたいになった。
うんち、うんち、と思って、写真をおねいちゃんに送ったら、
ムーミンみたいだねというほめ言葉をいただいた。
ムーミンはちょっとうんちみたいなフォルムかもしれない。あれ?
それで、コニャックを買ったのだけれど、その前に
コニャックある?と聞いたら、こんにゃくならあるけど。と言われた。
こんにゃく入りのチョコなんて正直食べたくない。
それで、えーと、思ったことがあって、
最近、おそらく論理的文章という部類に入るであろう文章を読んでいて、
それで久しくそういう、である調の小説ではない文章を読んでいなかった。
それでそういうのを読んでいて、思ったのは、
そういう論理的な文章を読んでいると、反対に、書く文章の理性が崩壊すると
思った。小説を読んでいる時は、それほどでもなかった。
でも、論理的な文章を読むと、メタファーの飛躍、文法の不一致、
そういうものがあふれてくると思った。
あ、そうか。あの時も、あの時というのは、えーと、以前、
そういう詩を書いた、書き始めた時もやはり、そういう本ばかり読んでいた
かもしれない。もう詩を書きたいとは思わないけれど、
えーと、私が論理的文章の方が自分に対して開かれているような気が
していたのは、そういうことだったのかもしれない。と何となく、
わかったような、わからないような気持ちになった。

投稿者 aikopa : 2:33 PM

February 6, 2007

月島でもんじゃ、私たちを幸せにするズボン丈について

たぶん二人ともねむたかったのだと思う。変なテンションで、
ぽこぽこ歩き、みょうちくりんな会話でへらへら笑っていた。
そうしたら、ティッシュ配りの人がティッシュくれた。
今日は、おねいちゃんと月島でもんじゃ!もんじゃ!を食べた。
その後アイスも食べたので、舌が何だかヒリヒリした。
そうしたら、ぺよぺよになって、いつの間にか、
イッツ・ア・スモール・ワールドを歌っていた。
あ、こどもの国だ。とおねいちゃんは言っていた。
地下鉄の中で、七分丈のスーツの男性がいて、
おねいちゃんに二時の方向、見て。と言ったら、
あ、何時だって?
二時、あ、いや、えーと、十時の方向。
あれはちょっと、つんつるてん過ぎなんじゃないか。
あ、あひゃひゃひゃ。と笑いだすおねいちゃん。
靴、靴下、地肌、ズボンの裾という順序が、余計に短く感じさせる。
地下鉄から降りて、つんつるてん、つんつるてんと言っていたら、
つるつるてんてん、つんつるてんてんという歌まで頭の中で流れだした。

投稿者 aikopa : 8:44 PM
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