March 29, 2006
疲労乾杯。おそらくネコ。ネコが行列になって、どこかへ連れて行かれる日々
ネコ。ネコ。ネコと思っていたら、だんだんうれしくなってきた。
というのは、今日、アテネフランセでどうやらこのクラスの延長になるクラスを
担当することになった人が来ていたのだが、その人はネコという名前で、
つまり、日本語に訳すとネコというだけなのだけれど、そのネコさんは、
さして取り立てて良いという雰囲気はなかったのだけれど、
ネコ。ネコ。ネコと思っていたら、何だか名前だけが一人歩きし出した感じだ。
もうネコ。ネコと思っただけで、私はうれしくなっている。
そして、疲労乾杯の日々。
だんだん数的処理、面白くなってきた。のか。
テレビの中の先生が、数は無限にありますからねと言った瞬間、
数は無限にあるゼ。すごいゼ。すごいゼ。
増えたり減ったりするゼ。すごいゼ。
などと脳内で小躍りし出してしまった。
それとか、グラウンドの周りを二人の人が逆方向に走って出会うという
問題があって、でも私はブラジルの周りと読み間違えたので、
壮大に私の頭は南米へとひとっ飛びして、帰ってきた。
もうそろそろ夢の中で割り切れない計算をしたくない。
March 22, 2006
本当に忙しくなってきた
昨日はアテネフランセでテストを受け、テスト中に眠りこけてしまったら、
先生に終わったら廊下に出ても良いよと耳打ちされて、びっくりして目が覚めた。
今日はアテネフランセでまた別のテストを受け、そして、公務員の勉強を
するために通うことにした学校にせっせと向かう。
数的処理。やはり真偽はできるようになった気がしない。
誰がカレーを作っても良いじゃないか。
夜。ブエノスタンゴ。待ちに待っていた。
この夜までにタンゴの勉強をしようと思ったけれど、
結局できず、こんな疲労乾杯の中、見に行くとは思っていなかった。
タンゴのダンサーはとにかくすごい。足が螺旋階段になる。
無重力みたいにふわっと飛んだりする。
男の人は常に女の人の影のようにして動く。まさに光と影。
ピアソラはやはり定番で、それで私が思ったのは、
やはりタンゴの世界で世界一のパパはノニーノに違いない。
アディオスと言われるからには、ノニーノだ。
ピアソラを引きこもりにさせたパパ。ノニーノ。ぽっくりである。
今にもパパの後を追って死にそうに狂い悲しむピアソラは、
考えたくない。ただそこにメロディーだけが存在する。
そういう状況が望ましいと思った。
March 17, 2006
相変わらずアナグラムの日々
風邪を引いて、くうくうと寝ころんでいた。
今日、アテネフランセに行ったら、先生が、
浜崎あゆみよりも、ヒタダウカルが好きと言っていた。
絶妙なアナグラム。奇面組とかのキャラクターにいそうだと
思ったら、ツボにハマってしまった。
March 9, 2006
写真と犬と、どちらでもいい私
相変わらず調子は悪いのだけれど、
今日はワタリウム美術館に行ってきた。今、やっているのは写真展で、
デヴィッド・ホックニーの、フォト・コラージュに魅了された。
何枚もの写真を重ねて貼り付けることによって、対象を描き出す。
光が写真一枚一枚で微妙に違っていて、同じ青も、一枚一枚違う。
あと、アレン・ギンズバーグの写真もあって、文章と組み合わされると、
唸るものがある。写真はやはり、その瞬間をあのレンズから口とか手とかが
みょんと出てきて、ぱくっともぎ取っていくのだと思う。
だから、そういう写真には力がある。
ルネ・マグリットの写真は、変だった。対象の向き合い方は絵画と同じで、
だからか、みんな、どことなく、え?ここで止まるの?
え?止まったままにしとくの?という表情で写っていたりする。変だった。
そして、調子は悪いものの、学校をやめて、親に勧められたまま、
公務員試験を受けようと思い、その勉強を遅々として始めたのだが、
数学の真偽の問題が楽しくなるほど分からない。
AさんかBさんかCさんは、うそつきか正直者でとかいう問題は、
もう考えてもできなかった。
そして証明されたのは、私は嘘か本当かということはあまり関心がなくて、
嘘か本当かを判断する時は論理的ではなくて、その人の手振りとか仕草とか、
声色とかを直感で総合して、嘘だとか本当だとか思っているらしいということが分かった。
帰り道、何だかでかくてふさふさの犬が、てててと散歩されていて、
来世は絶対犬になろうと、犬の尻を半ば追いかけるような形で、
疲労乾杯の中、決意を新たにし、犬、犬だけが私を前進させ、
悪循環の思考を心肺急停止させてくれるのだと思った。
March 8, 2006
盲目の豚の肉は今でも私を魅了する
先日、友人と会った時に、凹んだ凹んだと言っていたら、
デッパレデッパレと励ましの言葉をいただいた。
何がメンタル的に辛いのか私が認知する前に、
もう身体は反応を示している。
ずっとそういう性質を保持したまま、大きくなってしまったのだが、
今日もまさにそんな日で、私は訳の分からないうちに、
気持ちが悪くなり、駅から自宅までの道のりを、
牛歩にも似た速さで進む。途中、立ち止まり、
うずくまる。なるべく人目につかないところで。
今までは、というか、私の記憶の範囲では、
頻繁にこんな調子の悪さを示すことはなかったし、
まるでこれじゃ貧弱な人じゃないかとは思うものの、
どうすることもできず、ただ私がこの状態に飽きる、
あるいはすべてが忘却に帰する以外、
これは続くのかと思うと、何だか途方もない気持ちになり、
もうすでに私は飽きてきているはずなのだ、
その証拠に私は着実に忘却へと突き進み、
言葉から意味が剥がれ落ちていくのを感じている。
たとえ私が納得できないものであっても、私の軌跡を
辿れるように、詩をあるいは言葉を残す必要があると思った。