February 26, 2006
今朝、歯磨きをしながら
AIK in North Poleのリレー小説を再読していたのだった。
確かに、おねいちゃんと私の書いた文章の違いは分かるのに、
私がこれを書いたような気がすると思ったものは、
おねいちゃんの文章だった。
今思うと、私の今書いている文章にあの頃のおねいちゃんの
文章が似ているのかもしれないけれど、そういう風に自分の
書いていなかったはずの文章を書いたのではと錯覚するのは
不思議な体験だった。
ただもう今は、そんな風におねいちゃんと書いたりすることは
できないけれど、あの瞬間を記録する、そしてこうして再読することで
蘇る瞬間がまたバリエーションに富んでいて、面白いと思った。
私はきっと依然として発掘しているのだ。
February 23, 2006
しあわせ粉飾と読み間違えたのは、おねいちゃん
フィギュアをビデオで見る。
アナウンサー泣かせの名前を持つゲデバニシビリ。
グルジア。国旗を見たら、スイスかと思った。
グルジアの国旗は、赤地をバックにスイスの国旗を
赤白反転させて、小さく四つ、くっつかないように
配置されている。
スイスの国旗をわっと賑やかにした感じだ。
ソルトレークから四年。
色々、感じたことがあると思う。
意外に4回転は跳べないんじゃないか。>男子
意外に誰でも、ビールマンスピンができる。>女子
そして、男女ともに、スピンのエッジを替えるために、
変な、ちょっとよろっとなった感じのスピンをするようになった。
あと民放でどこだったか忘れたけど、
あくまでも、スピンをターンだと言っている局がある。
そして毎日テレビにオネエが出てくる。
民主党の前原代表は、もう彼が代表になってから、
私の中では「オネエ」だ。どこらへんがオネエか。
骨格なのか、あの喋り方なのか、それとも異様に長い睫毛か。
分からないが、彼はオネエであり、オネエがテレビに出てくると、
オネエオネエだと思うので、彼の言っていることがまったく聞こえない。
今朝は、知らんぬ知らんぬと小踊りしていた。
知らないということを伝える際に、冷たくならないように
するための語尾。ぬ。
しらんぬ。シランヌ。知らんぬ。
午後、おねむりさんをぽこぽこ玉手箱に詰めて、帰ってくる。
ひじきとか高菜の入ったおねむりさん。おいしいだろうか。
February 17, 2006
何も?
私たちは何を見ているのか?
何も。
私たちは何を考えているのか?
何も。
そういう言葉がブランショにあるのじゃないか。と今日、
話をしていて思ったのだった。
February 13, 2006
穴ばかりである。
吉見百穴に行ってきた。上の方には、穴ばかりがある。
写真は下の方のトンネル。軍需工場になっていたらしい。
アナグマになると、おそらくこんなトンネルの中を
身軽に走っていくのだろう。
こうして、つまり今日は念願の吉見百穴に行ったので
ありました。
色々なブームがあり、今はアルモドバルである。
彼がまだゲイの映画を撮る前で、アントニオ・バンデラスが
まだ白くて独身者だった頃の映画はすごい。
アントニオ・バンデラスが白いのも、変で変で可笑しくて
たまらないのだけれど、アルモドバルの映画にゲイが出てこないのが
すごい。出てこない方が、面白い。というか、共感を呼ぶ。
基本的には、無理難題を突き付けるような設定の中で、
いかにして愛が成立しうるのかというのをずっと描こうとしているように思えた。
February 5, 2006
香りが立ち上ってくる、そんな映画
映画をいくつか見た。一週間で7本くらい見ていた。
すさんだ一週間だったのかもしれない。
何も語るべきことがなかったし、
心がますます狭くなって、どことなくカビくさいような、
ごろんごろんと布団の中を転がっては転がっていた。
青いパパイヤの香り。
この映画については、何か語らなければならないような、
そんな気持ちにさせられる映画だった。
フランス製作のベトナム映画。カンヌのカメラ・ドールを受賞している。
使用人のムイという少女の視点で日常が語られるのだけれど、
カメラが葉と葉の間から覗いたり、虫をじっと見つめたり、
もうそのカメラが凄かった。映像ではなくて、これはカメラが
瞬間を捕らえている。と思った。
後半をもう少し膨らませたら、面白かったのになぁとか
思うものの、でも、このままでもとにかく凄い。
見終わった後に、おおお〜っとやって来る。
私は青いパパイヤの香りがどんななのか、分からないけれど、
きっと実際の香りよりも、いい香りを想像させたのだと思う。
February 1, 2006
寝具売り場のカモノハシになりたい
忘却の文学史は読み終えた。
忘却と眠り、反復。忘却してしまった瞬間のあの、
何とも言われない詩的な空間を、煎れたばかりの
カフェオレの湯気。立ち上る螺旋。そう表現できるだろうか。
今は「カントとカモノハシ」。ウンベルト・エーコ。
こんな言葉で始まる。
カントとカモノハシにどんな関係があるというのだろうか。
何の関係もない。
もう読まないわけにはいかない。哲学の用語は、よく分からない。
イタリア語もやったけど忘れたのでよく分からない。
よく分からないけれど、そのうち、カントとカモノハシが
出会う場所があって、いや、きっと出会わなくても、
出会わなかったことを確認するために、読もうと思う。
分からないの積み重ねが、きっと分からないの積み重ねになって、
それがきっと美しいのだと思う。