December 30, 2007

ポータブルな人生、そして、角ちゃんの拾ったグッチの新作

この前、年賀状を家でプリントアウトしようとしたら、スジが入り、
いくらやってもスジが消えないと嘆きのメールを姉に送ったら、
ベッドクリーニングした?
というメールが来た。
んあ?ベッド!?
と思ったわたしは、なんとなくイメージ上のふとんまみれになったことは、
言うまでもない。
しかも、ベッドをクリーニングしても、おそらく相変わらずスジは入るだろう。
結局、解決できず、文房具屋でちっちゃなねずみがほいほいいる、
年賀状を買って出した。らくだった。

角ちゃんと会う。
ポーヴル、ポーヴルと言っているうちに、うちらの存在はポータブルだという
話になり、ミラン・クンデラの存在の耐えられない軽さっていう本があるじゃん、
それをもじって、存在の耐えられないポータブルってどうだろう?
ポーヴルポータブル。
パープル・ポーヴル、パーヴル昆虫記などと言って、わらっていた。
それから、レジの人の間違いで出されたお釣りが1000万円以上のレシートを
見せてくれた。わらった。
そして、グッチの生地で作られたティッシュケースを拾ったと言って見せてくれた。
なんだろう、ちぐはぐな感じに、オレンジ色の花のリボンが縫い付けられていて、
これは絶対、手作りだよと言ったら、いや、グッチの新作かもしれないと言っていた。

投稿者 aikopa : 12:12 AM

December 21, 2007

ふんふんと、こんな遊びをしていた

今日は帰りの山手線にフードのふちが、ふわふわのファーに
なっている人がすぐ前に立っていて、わたしの息がかかると、
さわさわと毛が揺れる。こっそり、ふんふんと息をかけて遊んでいたら、
電車が揺れた拍子にその人に追突してしまう。
かさねがさね、申し訳ないと思いつつも、あともう一駅ふんふんと
遊んで、それから電車を降りた。

大江健三郎の短編集をまだ読んでいる。
シュルレアリスムのような文体。日本語とは思えないほど、修飾語が連なる。
彼なりに小説の方法を模索していたのだろうと思った。
でも、依然として、怒りという感情の不在、ぽっかり空いた感情の穴に
淡々とした感情がゆるりと満たされていくのが分かる。
それが彼らしさなのだろうと思った。嫌いじゃないし、むしろ好きだ。
でも、他人に勧められないと思うのは、女性キャラクターの喋り方が、
おそらく、時折、変、だからだと思う。

投稿者 aikopa : 10:10 PM

December 18, 2007

拾ったイヤーマッフルを角ちゃんの腕にかぱっとはめてみた。

新宿のタカシマヤで散々道に迷った末、タイツを買う。
これで全身タイツマンになる決心がついた。おつりは9000円。
駅に向かう横断歩道を待っていたら、タイヤとマフラーの内側が
青くぼおっと光っているオートバイがブロロロロと通り過ぎて、
鳴り響く音楽に耳をすましたら、エアロスミスのDream Onだった。
ちょうどサビのところ。私の中でも反芻して、さて、と思ったら、
何だか、大江健三郎の『見るまえに跳べ』のようだと思った。
誰しも若い時にこんな気持ちになるのだ。そして私もまた。

夕方、角ちゃんを待ちながら、豆乳ラテを飲む。
豆乳は豆乳で、ラテは牛乳って意味だ。
でも、コーヒーが入ってる。
色がベージュ、豆乳の後味がぶわっと。
夢中になって書いていたら、角ちゃんが座るはずの席を
男の子に取られた。どっかの予備校の子で、一人の女の子を
囲んで、周りの男の子たちが、みんな座りだす。

夜、がむばらない、がむばらないと角ちゃんと歌いながら、
歩いた。厳密には歌ってはいなかったけど、今思うと、
ちょっと上機嫌で歌っていたように思う。あれは、半ば
歌っていたのじゃないか。

投稿者 aikopa : 10:25 PM

December 16, 2007

ローマ字でどう書いたら良いか分からない単語、そして、白黒反転の年賀状

年賀状について話していた。
今年も自宅のプリンタでがんばると父。
写真とかインクをたくさん使うやつはすぐにプリンタが汚れて、
スジが入るようになるから、線画とかの方が良いんじゃない?と
言ったら、お父さんは、写真を白黒反転にすると言っていた。
えーと、それは、正月早々、ちょっと不吉な感じのする
年賀状なんじゃないだろうか。

昨日は角ちゃんにも会っていたのだ。
地下鉄を乗り過ごしそうになりながら、嫌悪ってローマ字でどうやって
書くんだろうという話をした。
KENOだとケノだし、KENNOでもケンノだし、KENHOなら、ケンホだ。
KEN-Oは?という意見も出たのだが、ケンオーって感じだね、それは。
というようなことを話した。
多くの外国語では、ンの後に母音が来ることがないのではないか。
でも日本語には、そういうンの後に母音が来る単語が結構ある。
恋愛。RENAIだとレナイだし、RENNAIだとレンナイだ。どうあがいても、
レンアイにできない。ごーっふ。
などと話していたら、銀座に着いた。和光を三越と勘違いして、
道を渡ったものの、後ろに三越が出現して、後戻りする。
そんなのばっか。てへっへ。

投稿者 aikopa : 8:20 PM

乱射事件と色即是空、そして、pas malについて考える

佐世保の銃乱射事件。朝ニュースを見ながら、こんな会話。
銃って狩猟用なんでしょ?あれ?でも、クレー射撃とかの人も
登録できるんだよね?
父。いや、狩猟用だよ、散弾銃は。
あぁぁぁ、そうだね。と私。
ごんも死んだよね。
(ごんぎつねの最後で、散弾銃で撃たれて、ぱたっと倒れるのは、
狐のごんだ。ちょっと良いやつだった。)
あれ?男の人の名前は与ひょうだっけ?与一だっけ?
あれ?与ひょうは鶴の恩返しの男の人かな・・・。
さあ、覚えてないと父。
でも、よ・ナントカだったよ、確か。
うるおぼえな会話。

ジョナタンに私の写真を送ったら、pas mal悪くないよとメールがくる。
ふむふむ。と思っていたら、すぐに次のメールが来た。
「悪くない」っていうのは、良いってことで、かわいいって意味だからね。と
言い訳じみたメールだった。
かわいいのは、むしろそっちの方であろう、そうであろうと思った。

夕方、おばあちゃん家にないような洋菓子の小さな詰め合わせを
持って行ったら、おじいちゃんとおばあちゃんが、これとこれは
いっしょじゃない?あれ?ちがうかしら。これは、同じだな。とか言っている。
何だか微笑ましくて、にこにこしながら、二人を見る。
あと、おじいちゃんの色即是空、空即是色の話。
高校生の時は、恋は無意味だって意味だと思ってたと言っていて、
よくよく考えてみると、可笑しい。おじいちゃんにも、列記とした
高校生の時代があったのだ。恋は無意味か、ほーなどと思っていた
のだろうか。
でも最近読んだ本には、形あるものはすべて、他のものとの関係によって、
そこに存在する。というような意味で、空は相関性を意味しているのだと
言っていた。おもしろかった。全然、無意味じゃないのだ。

投稿者 aikopa : 1:07 AM

December 11, 2007

具体的すぎると、おかしくなっちゃうんじゃないだろうか

大江健三郎の若い頃の短編集を読んでいる。
再び地に足がついたような感覚。
二十歳で、怒りを持続できるほど、自分は若くもなく、また
年老いてもいないというようなフレーズがあり、静かに共感を呼び寄せる。
やはり、青い背表紙とはわけが違うのだ。
心臓は飛び跳ねないし、どんな過酷な状況でも神経が慣れていく。
ただ、書き慣れていないと思われる戯曲は変だった。
(親切そうに)とか、事細かに記されている。そして、最後は(急激に幕)。
笑った。これには笑ってしまった。急激に幕はないだろう。
舞台袖で一生懸命、幕を引いている人がちらつく。
そして、ああー、わたしはこんなに偉大な作家の文章に対しても、
笑ってしまうようになってしまった。タイタニックで笑うのとはわけが違う。

昨夜、お風呂上りに居間に行くと、お母さんが笑い終わったところで、
え?何、笑ってるの?ねぇ。と聞いたら、食品の表示を偽装していた
会社の人々が謝罪会見をして、「30秒以上、頭を上げませんでした。」
と言っていた。自体の深刻さはよく分かるのだが、ちょっとそれは笑いたくなる。
やっぱり、具体的すぎると、おかしくなっちゃうんじゃないだろうか。

ジョナタンから送られてきた作文の宿題に、「五十五分後、イナルコまでとどきます。」
と書いてあった。笑った。
前半の厳密すぎる描写と、後半のメタファーが混ざり合って、
何とも言えない、ユーモアを生み出す。

投稿者 aikopa : 7:50 PM

December 10, 2007

魔法のような年賀が届く

ジョナタンから年賀が来る。早い。
やけにきらきら光ったちょうちんの中に雪の積もった家があるというカードだった。
なぜ?ちょうちん?
しかも、開いてふむふむと読んで、ぱたんと閉じると、手がきらきらしている。
まるで魔法のようだった。
ただ、封筒に二箇所セロテープが貼られていて、でも、それが何のためか
分からないし、おそらく何の意味もなしてない。けれど、
開きやしないかと心配だっただろうジョナタンのことを思う。
ふむふむ。そうかそうか、心配だったか。

この前、ユリコさんに久しぶりに会った。
相変わらず、ユリコさんは変だった。
31アイスクリームでアイスを買い、ぺろぺろと食べていると、
会話がなくなり、ユリコさんが何やら、31アイスクリームの店の中を
じろじろと見ている。
何、見てるの?と私。
内部。とユリコさん。
クールにボケる。仕事場の男性社員より足が大きくて、彼と足を取り替えたいよ
と言ったり、今日は散財するぞと決心するユリコさん。
こっそり貰って帰ろうとフェイスカバーをかばんに入れていたら、店員さんに
回収されそうになったり、何だか本当に楽しかった。

それから、最近。考えていたこと。
強化ガラスの少年時代。君はハウステンボスからの夜景よりも美しい。
解けない愛のクロスワードパズルを抱いて。
四十肩の荷が下りる。もし私が伝書鳩なら、あなたのもとまで飛んで行くのに。
などとメタファーを補足説明すると、おかしな気持ちになる。と思った。

投稿者 aikopa : 7:35 PM

December 6, 2007

ついついにやにやさせる言葉、ボラね。そして、食べて、ねます

昨夜、ぺんてるが日本語の宿題と思われる文章を見せてくれた。
すごいんだ。これが。稚拙な文章の羅列が、ぐっと来る。

例えば、自分のアパートについて、「大学から家まで三十キロメトルがあります。
大きくてあかるいアパートです。五階です。」とある。
五階です。にやられた。ずがん。五階。
あと、自分の机について、「机の下に、ごみ箱と本とざっしがあります。」
この「ごみ箱」が一番始めに来て、他のものと同列に語られることで、
本とざっしが、ひょっとしたら、ごみなんじゃないかと思わせる力がある。
「私のお金はさいふの中にあります。パスポートがありません。」
何だろう。パスポートがない。というのは、こんなにも貧しい気持ちを
呼び起こすだろうか。それともお金がさいふの中にあるからだろうか。
自然と、井上陽水の傘がない〜を思い出す。
「毎日私は部屋でテレビを見て、日本語と中国語をべんきょうして、
食べて、ねます。」
食べて、ねます。という最後のフレーズが、勉強熱心であるということを
打ち消すあるいは忘却させる楽観的雰囲気を備えている。
すてきだ。

それから、デルデルがすごい。プライベートレッスン。
前回終了後にかほりさんが「ほらね」と連発してたと言うので、
注意深く聞いてみると、「ほらね」「voila(発音としては、ヴォワラ?)」
二つが混ざって、「ボラね」と言っている。ボラねはないだろう。
笑いをこらえるのに必死だった。ついつい、にやにやしてしまう。
あと、母音とか男性名詞とか出てきた時になぜか漢字で母とか男とか
書いてくれるのだけど、男、男、母。となった時は、何だかそれだけで
楽しくなってしまい、うつむいてしまった。母音じゃない母だ、それは。

投稿者 aikopa : 10:17 PM
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