July 31, 2004

送別会

奇しくも、昨日は今月で辞める同僚の送別会だった。
あいこを送り出したわけじゃないけど、何か区切られた感じ。
個人的には、私に"仕事を続けられそう"イメージを初日に植え付けてくれた人だったので、微妙に残念だ。
しかし、気をつけなくてはならない。誰かが辞めた時が、一番危険だ。
外の世界を見てしまったら、この仕事は続けられない。

最近は・・・仕事の方が少し暇になったので、帰った後は夏コミの原稿を描いていた。

まだ、20ページ以上残ってる;・・・間に合うの・・・か?
2重生活が疲れたのか、それとも祖父母がケンカしてたから疲れたのか、どっちだかわからないけど、今週は疲れた。

投稿者 hiro : 1:40 PM

July 29, 2004

そして私は行くのだろうか

じっとりとした台風のある夏。
無性に台風の映画を見たくなる。
明日は、5時とかいや、それよりも前に起きる。

熱海から帰ってきてから、何だか体調が悪かった。
クーラーによる乾燥のせいか、喉も痛くなってた。
で、バイトを淡々とやり、小学生は道路で目玉焼きを焼く。
本を読まない生活。世界がより詩的になるのだった。
そして思うこと。ゆっくりゆっくり手繰り寄せていこうと思う。
フランスでもすぐに宿舎の枕と友だちになろうと思ったのだった。
きゅんきゅん。
週末恒例の午前の仮眠を思うと、もう楽しみだ。

投稿者 aikopa : 8:07 PM

July 26, 2004

ストレンジャー熱海。

ロマンスカーで熱海。
おばあちゃんがじゃがりこを持ってきてくれている。んん?
MOA美術館に行く。宗教の団体が建てたものらしい。
果てしないエスカレーターの高みに至るうちに、きっと魂の浄化とか
そういう儀式を通過したりするのかもしれないと思った。
とにかく振り返ると転げ落ちる自分を想像してしまう。ころんころん。
おむすびころりんになった私。
夜。花火。きれいだった。
最近はこうして間近で花火を見ることも減ってしまった。
大勢の人がいて、何だかイラついてしまった。
今、思うと、自分は人混みにいられないような神経質な人間などではなくて、
あれはきっと猿の縄張り意識みたいなものなんじゃないか。
ふぁー俺の場所ふぁー。みたいな感じ。
全然ナイーブじゃないやい。
私とおねいちゃんが泊まった部屋はプールがすぐ上で、窓から飛び込めそうな
位置だった。想像の世界でじゃぼーん。

投稿者 aikopa : 8:45 PM

July 24, 2004

ひゃらひゃらと記憶の隅で笛の音が聞こえる

2時頃眠れなくなって、起きて漫画読む。
4時頃、再び寝る。暑い。
9時起床。朝食。
ヨドバシカメラにフィルムを買いに行くか迷ったが、
とにかく眠たいので、一旦眠ってから、考えることにする。
13時。ぱぱこに起こされる。
上等な素麺を食べる。雲を食べているような天国に片足を突っ込んだような、
味わい。んまい。ふもふも。
寝ぼけながら、ヨドバシカメラの歌とビックカメラの歌は似てるんじゃないかと
いう話をする。歌詞が対句形式になっているからだろうか。
午後。汗だくで掃除。汗が水玉になっている。ひぇ〜。
掃除後シャワーを浴び、クーラーのついた1階へ。
15時。エア・バディ2を見る。ゴールデン・レトリーバーがアメフトをする映画。
一作目はバスケをしていたらしい。とにかくかわいい。
悪役とか出てくるけど、自力で脱出してるし。アメフトは主人公の少年より
上手いし。むしろ、犬がメインで、人間はサブなんじゃないか。
特に少年と新しく父親になる男性が仲良くなってる側で、吠えてる犬の映像は
何ともおかしな気分になる。かわいかった。ホーム・アローンの犬版みたいな雰囲気。
17時。ふたりのロッテ。勢いで二本立て。1階は涼しい。
ドッペルロッテ?マルコヴィッチが複数追いかけてくるようなイメージが、
最後の駅で家族が再会する場面に重なる。
昨日見たアダプテーションの影響か・・・。
19時。晩ご飯。ネギトロ丼。んまいんまい。
そして、明日は熱海だ。わは。暑い暑い。

投稿者 aikopa : 8:16 PM

July 23, 2004

牛夢というメニューがある

こうして今日もたびもふを書く。
今日は朝から夕方までバイト。ねむい。尋常じゃない眠さ。
放心状態で答え合わせだ。すぐに見てるところを見失う。
座っていると眠いので、むやみやたらにぶらぶらする。
寒さのせいか、妙に疲れる。そのうち口内炎ができて風邪を
引くんじゃないかと思う寒さだ。
小学生はそんな寒さのなか、ノースリーブだったりする。
たぶん燃焼の仕方が違うんだろう。
そして、道路で目玉焼きを焼くのだ。

帰ると、眠くなり、寝てしまう。
最近は晩ご飯前に仮眠を取るのが日課だ。
風呂に入って、アダプテーションを見る。
adaptation、脚色と順応という二つの意味で出てくる。
脚色している間に順応してしまったカウフマンを描いている。
何であんなに突飛な題材で、悲痛に哀しげなんだろう。
といつも思うのだった。
蘭に魅せられた男という本を脚色してるらしいが、
脚本を書けずにいるカウフマンがほとんど出てる。
「カッコーの巣の上で」で更生してしまったニコルソンを
見た時と同じ効果を禿げかかったニコラス・ケイジが体現。

そして、私が最近、思ったのは、つまり私が書けない書けないと
思っていたのは、本を読んでいたからかと思ったが、そうではなくて、
眠っていなかったからなのだと思った。
現実と夢の境目を曖昧にする作業としての眠り過多が必要だったのだろう。
今も本は読んでいる。だが、読んでいない空間がいっぱいだ。
いっぱいに広がって、始終私は草原の風に吹かれて眠る音を
聞きながら、眠りに着く。

投稿者 aikopa : 10:54 PM

July 22, 2004

眠りの進化論

良くは分からないが、とにかく書かないといけないぞと思ったのだった。
眠りの文化論も読み終わった。
眠りについて色々分かったが、それよりもむしろ、自分の眠りに対する関心の
高さを思い知らされた。
ただ眠る。それだけじゃない生活。
眠りの世界で、誰かと交信するうちに、きっと過去が未来が再構築されて
いくのだろう。自然に眠る。そういう態度を貫いていこうじゃないか。

で、来週の金曜に飛行機に乗ってフランスに行く。
もう大体用意できてきた。わは。詰め詰めするの大好き。
そういえば、社会を教えてた女子中学生が、アメリカの
農業の特色についての問題で、「飛行機に乗って、薬を巻く」と
言っていた。はずれてないが、おもしろいと思った。
ひこうきにのって、くすりをまく。

投稿者 aikopa : 11:41 PM

July 16, 2004

別に脱臼ってわけじゃないが

ひとまず、「マックス・エルンストと森」にした。
彼にとって、森とは何だったのかをもそもそ分析しようと思う。
こうすれば、フランスに持って行く本が軽くなるのだった。
いずれ、運動全体のこと、オートマティスムとか、
詩が生成される仕組みみたいな研究ができたらと思う。

朝、銀行に行き、日本円とユーロの為替相場を聞く。
帰ってきて、「眠りの文化論」という本を読む。
私の好きな言葉が1ページに2つ以上、出てくる。
そして、眠りの研究をする人の多くは、ロング・スリーパー(睡眠
時間が8?時間以上のたくさん眠る人)で、たくさん眠るのが
いかに大切かを実証するために、頑張っているらしい。
枕とか、眠るとか、ベッドとか、とにかく好きな言葉ばかりだ。
くんくん。くんくん。あー。眠りって私の中で、生活に密着している。
そう深く深く頷きたくなるような本だった。
まだ3分の1。その後、眠る。昼寝。エレベーターとかでびゅんびゅん上昇したり、
最後の方には、何だかぴゅんぴゅん色々飛び回っていた気がする。
そんな夢を見た。何かスナッチャー?みたいなシチュエーション。
ホテルの展望台にある、うどん屋さんか、お寿司屋さんみたいなところで、
どっきどき。だった。どうしてこんな夢をみたんだろう。

午後、メガネを作りに行く。
店員さんの口癖は、「で、問題は・・・」である。
10回は聞いた。メガネ屋さんに行くたびに、やだなぁこの店員と思う人に出会う。
見えたり見えなかったりするものに対して、よく見えるとか見やすいとか、
言わせられているうちに、クラクラなった。

投稿者 aikopa : 8:57 PM

July 14, 2004

たくさん寝てしまいました。

塾には、方程式を解いてると、いつの間にか文字がなくなったり、
違う文字に変わる子がいて、こういう子はきっと
違うことが気になってるに違いないと思っただす。
へっちゃらだいという言葉を無性に思い出したくなる男の子がいる。
あと、ワークを取り出すためにバッグに顔ごと突っ込む小学生の女の子。
最近、あぁ、こういうのが足りなかったのか?と思ったのでした。

オートマティスムというのが、ある。自動記述と日本語では訳されている。
でも、記述するのは人間だ。人間が意識の検閲をいかに通さずに、
自動的に書くかというところを突き詰めていく。
卒論でシュルレアリスムについて書くことは決まっているが、
テーマが決まってない。テーマを決めなくちゃいけない。
でも、数日、テーマだテーマだと考えていて、思ったことは、
やはり、そういう考えを示すことに私自身、無意味だと感じている。
レアリスムであれ、シュルレアリスムであれ、表現されたものは、
大して変わらないのではないか。
どこで線を引くか、はっきりとした線になるまでには、
数多くの乱れたもやもやの線が、幾重にも重なる線があり、
私なんかはその乱れた線の絡み合いが美しいんだなどと思ってしまう。
つまり、はっきりしてない。不透明な、困惑気味の、難解なもの、
そういうものはそのままで良いんじゃないかと思ってしまう。
何かに光を当てるとか、ヴェールを脱がすとか、そういったことに
あまり興味ないんじゃないかと。
心のどこかしらで、謎は謎のまま解き明かされないままでいることが、
魅惑的なんだと思っているのかもしれない。
それで、そんななかで、私が声を大にして叫びたいこと。
きっとそれが私のテーマなんじゃないか。

投稿者 aikopa : 11:26 PM

July 13, 2004

bunkamuraで演劇を見る

bunkamura.JPG

今日、卒論のテーマをどうするか、どうするか、うんうんうんと考えていたら、
ふと手に取った現代詩という雑誌のバックナンバーで、
「たわしのわたし」という詩を見つけた。
卒論のことなどすべて忘れさせるような吸引力がその詩にはあったと思う。
卒論そっちのけで、たわしのわたしである。
満足げだとくまくまに言われた。そうかもしれない。
わたしのわたし。わはは。

喜納昌吉が参議院議員になり、フローラン・ダバディー(トゥルシエの通訳してた)が
色んな俳優に混じって演劇のようなショーに出るらしい。
なんということだろう。大事なのは、たわしのわたしなのだと強く思ってしまった。

あ、それで写真は私がplay without wordsを見てきたbunkamuraのエレベーターと
その吹き抜けだ。
言葉のない芝居。よかった。
言語としてのダンス。基本的に1人の登場人物を3人のダンサーが演じている。
アイデンティティの複雑さ、記憶の曖昧さ、まるでモンタージュされた映像のような、
ダンス。1幕45分で2幕あったので、90分だったが、決してその時間は、
短くはなかったし、音と共に表現される身体を追うのに、疲れない微妙な時間なのだろう。
もっと長かったら、私たちとダンサーもくたんくたんだ。きっと。
すばらしかった。今度は、フラメンコとか見に行きたくなった。

投稿者 aikopa : 12:35 AM

July 8, 2004

僕らの

2週間休みに突入してから、ずっと脱力してたけど、ようやく動き出せた感じがする。

今年の春に購入した、スパイク・ジョーンズのDVDをようやく、ほとんどすべて見た。
こんなビデオを撮る人間がいること自体が、驚きだ。
スパイク・ジョーンズの前では、どんなビッグなスターも、厳格なアーティストも、ビョークも、隣人に変わる。
表現が、”みんなの”じゃなくて”僕らの”ものであることが、明確に示されている。
当たり前なことなのに、失われ易い。表現ばかり、一人歩きしがちだ。

Beastie Boys/SABOTAGE、Bjork/It's Oh So Quiet、Fatboy Slim/Weapon of choice…などなど、素敵なビデオを撮っているが、やはり私がベストだと思ったのは、
Fatboy Slim/Praise Youのビデオだ。
スパイク・ジョーンズが凝縮されてる。こんなの撮るなんて、普通じゃねぇ。
ちなみに、このビデオの一番手前で踊ってる(?)ちょっとオタクっぽい奴が、リチャード・コーフィー(笑)ことスパイク・ジョーンズ。

投稿者 hiro : 1:20 AM
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