July 13, 2004

bunkamuraで演劇を見る

bunkamura.JPG

今日、卒論のテーマをどうするか、どうするか、うんうんうんと考えていたら、
ふと手に取った現代詩という雑誌のバックナンバーで、
「たわしのわたし」という詩を見つけた。
卒論のことなどすべて忘れさせるような吸引力がその詩にはあったと思う。
卒論そっちのけで、たわしのわたしである。
満足げだとくまくまに言われた。そうかもしれない。
わたしのわたし。わはは。

喜納昌吉が参議院議員になり、フローラン・ダバディー(トゥルシエの通訳してた)が
色んな俳優に混じって演劇のようなショーに出るらしい。
なんということだろう。大事なのは、たわしのわたしなのだと強く思ってしまった。

あ、それで写真は私がplay without wordsを見てきたbunkamuraのエレベーターと
その吹き抜けだ。
言葉のない芝居。よかった。
言語としてのダンス。基本的に1人の登場人物を3人のダンサーが演じている。
アイデンティティの複雑さ、記憶の曖昧さ、まるでモンタージュされた映像のような、
ダンス。1幕45分で2幕あったので、90分だったが、決してその時間は、
短くはなかったし、音と共に表現される身体を追うのに、疲れない微妙な時間なのだろう。
もっと長かったら、私たちとダンサーもくたんくたんだ。きっと。
すばらしかった。今度は、フラメンコとか見に行きたくなった。

投稿者 aikopa : July 13, 2004 12:35 AM