May 4, 2006

坂を下りながらボラーレと歌う

姉が結婚して、名前が変わったものだから、
そうだ。携帯の登録を変えなきゃと思ったら、
おねいちゃんで登録してあった。
おねいちゃんは、依然としておねいちゃんなわけなのか。
思ってみれば、私は人生の中で不必要に、おねいちゃんおねいちゃんと
言っていたように思う。
実際、本当に必要でない時も、おねいちゃんおねいちゃんと言っていた。
おそらく、私という単語よりもおねいちゃんの方が多く発音されていたのではないか。
私にとっては、無意味におねいちゃんと発音することで、
満たされる何かがあったのではないか。
おそらく、それはおねいちゃんという存在を超えた、おねいちゃんの宇宙。
正確には、おねえちゃんと表記すべきところを、おねいちゃんにしたのは、
その発音に限りなく近づけようと思ったからではなかったか。
そして、おねいちゃんは私の中でパジャマを着た、いつも寝ぼけている
ような、それでいて、私が寝ている間にシャカシャカ何かをしている、
そんな存在だったのだと思う。
そして、私が知らぬうちに使い分けていた姉という単語は、
おそらくおねいちゃんの社会的存在を表すものなのだ。

投稿者 aikopa : May 4, 2006 8:39 AM