June 23, 2004

歩きによる自分との対話

恥ずかしながら、最近、オンラインショップ、ハキハキ工房のスリッパが
妙に魅力的に映る。どうしてだ。欲しい。

昨日は代々木から公園を経由して原宿へ行き、
ぶらぶらと放浪の後、原宿から新宿まで歩く。
何だろう。駅周辺には、人がたくさんいるが、
むしろ駅から離れた、静かな住宅街を、とぼとぼ
歩いていると、無意識のうちに思考されているのだった。
歩くと、悩みが解決する。

2年前ぐらいに書いた詩(*1)を再読。
こういう詩を書いていたからこそ、私はシュルレアリスムを研究するべきだと
思ったのだが、シュルレアリスムに関する研究書を読む今、では、
私は書くのをやめてしまったのかということになり、何がどうしてなのだろうと
思う。今は、ただひたすら歩き、写真を撮るだけだ。

(*1)2年ぐらい前に書いた詩は、以下の通り。
どうやら孤独だったらしい。しかも、根拠のない美しい確信で
締めくくっている。

2デシリットルの孤独で
埋めつくされたある夕方の喫茶店で
私はふとつぶやいてみよう。
心にもないポリグロビレンコールについて。
8ビートと同じリズムで繰り返すため息が
大なりイコールで結ばれる悪夢の叫び。
私にもとうとうやって来るのだったであろう。ではなかろうか。
幾千にも折り重なった時間の集合を
まず記憶の犬小屋と仮定しよう。
君のような珍しい電話の細胞分裂を感じることができる
高性能なボーダーレス社会が必要だ。
これはアナグラムな話ではない。
フィジーカルフォニアな問題だ。
アッシモさんの憂うつが今夜もはびこる
左翼のチェロ弾きたちはぐっすり眠った。
昼とピールの間に横たわるアランチャ・スプレノゴン。
昨日また電話してと噛んだ音楽は
フラフープの渦に吸い込まれかけそうだ。
あなたにも幸せなカラムーチョが待ち構えている。
カルパッチを見せるまで私は引き下がらないと決めたのだったか。
ニョッコの大群に襲われた前に
私はあなたを助けようかと思い立つだ。
危険な洗濯機の涙に
子犬をあげてはならないのだったぞ。
小林という名はチェルシーではそんなにいませんが
決して悔い改める価値はありませんのだろう。
ありませんのだろう。
ありませんのだろう。
ありませんのだろう。
ありませんのだろう。

「こだまする意義を確信して」

投稿者 aikopa : June 23, 2004 11:57 PM