January 23, 2005

宙に浮かんだバイオリンは、吊された男のようだった

携帯を機種変したいと思うようになりました。
で、店頭で色々いじってみるのですが、どれも壊れそうです。
なぜかというと、今の携帯は帰ってきて、
布団の上に携帯を放り投げています。
最近の私は乱暴になってしまったので、この放り投げに耐えられる
頑丈な携帯が欲しいです。

今日は浦和に行って、大勢の人々に混じって、紙を千切ってきました。
それから、緑色の風船を一生懸命吹きました。
私は、以前入試の時に「はじめ」という言葉が発せられると同時に、
一斉に響き渡る入試問題冊子のページをめくる音に、感動したことがありました。
そういう音、そういう視点をアートに向かわせようとした動きもあったようです。
でも、ただその作品を作るために発せられる音は、私には何だか
どことなく人工的で、そういう人工的に作られた偶然を楽しむ会っていうのは、
どうかと思いました。あそこで誰かその作品に対して、罵声を浴びせたりそこまで
いかなくとも、それは違うとかそういう反応の多様性が抹殺されていたように
私には感じられました。だから、不自然で違和感を感じたのだと思いました。
フルクサスがやろうとした、非常に変化に富んでいて、しかも鑑賞者に
行動させることでメッセージを伝えるという、その考え、フルクサスが選んだ方法は、
理解できなくもないけど、それを「残す」ということはもっとずっと難しいのではないか。
と思いました。

投稿者 aikopa : January 23, 2005 9:05 PM