March 16, 2005

ワイロという言葉の響きはどことなくマイロを想わせる

明け方早く、目が覚める。4時。
うんうんうんと、ふとんの中で粘ってみたが、んばっと飛び出して、
本を読んだ。友情論。レイアウトのせいもあり、するすると読めてしまう本。
内容的には、いや、それはどうなんだ?という記述もあるものの、
概ね友情ということについて私が考えていたものの輪郭を象ってくれている。
あと半分。
アテネフランセでは、なぜだか先生がホワイトデーのプレゼントだと言って、
みんなにイタリア製のチョコレートをくれた。
日本の文化的にホワイトデーにチョコをあげるのは普通か?みたいな
質問をしてきたが、普通はあげた人にお返しをする日であって、
あげてもない人にチョコをあげる日ではないんじゃ・・・と思ったが、
それをフランス語で説明することもできず、チョコをもぐもぐ頂いた。
友人曰く、次のクラスも取ってくれっていうワイロなんじゃないかとのこと。
ワイロには、常々弱い傾向にあるのだが、それはきっとキシリトールとワイロという
言葉の織りなす詩的な関係によるものだと思った。
ワイロはいつだって、キシリトールの代用品に違いない。
しかし、プレゼントだと思ってあげたものがワイロだと取られるのもどうかと思うが、
なぜ先生がプレゼントをしたかったのかよく分からなかった。
そういうのは私たちが先生にするものなんじゃないか。ちがうのか。

投稿者 aikopa : March 16, 2005 8:14 PM