March 10, 2007

繰り返される語尾にびくびくする

最近の私は、そうだった。
ある一つの語尾「ね」「よ」などが繰り返し使用するのは良くないと
私は漠然と思っていたのだが、ここ数日の間に、
それはただ単に単調な音のリズムを避けるだけではなかったのだ。
ということに気づいた。なぜそう思っていたのか、その答えをババンと突き出すような、
できごとが度重なって私の身に起こった。
ね。ね単体は素敵だ。ちょっと親しみが持てる。
よ、よもそれ自体、軽快な感じがあって良い。でも、連続して語尾に来ると、
なぜか怖い。怖い気がした。びくびくした。
で、それならば、と怖くない語尾について考えた。
ずら。とか、だす。とかござる。
例えば、
次の定期テストね、赤点取らないように、がんばりましょうね。
って言われたら、きっとびくびくすると思う。でも、
次の定期テストずら、赤点取らないように、がんばるずら。
これなら、きっとこわくない。
つまり、それは、親しくもない人間に親しみを込めて、
ね。や、よ。を多用されると、恐怖を感じるのであり、
親しくもない人間にもし、ずら。や、だす。ござる。と書かれたら、
やはり、それもまた、怖いと私は感じるのではないか。とも思ったが、
ずら。だす。ござる。は幾分か親しみよりも可愛さや不器用さが前面に出て、
押し付け感は若干弱まっており、幾分か安心感を抱くだろうと思う。
がんばるずら。とか言われても、がんばらなくてもいい。そんな安心感。

投稿者 aikopa : March 10, 2007 3:18 PM