March 3, 2007

はた、と考える、ケイト・モス・ノスタルジ

風邪で休んだお父さんが、首が痛い、痛いと言って、
もう首がネックなんだよと言っていた。

最近は、パンを焼いていた。もったいないからと使っている酵母が
あまりおいしくない。かなしくなる。
パンのおいしさのほとんどが酵母によって決められているんじゃないかって
思うほど、だ。でも、ぱぱことままこはおいしいおいしいと言って、
もしゃもしゃ食べていた。
それから、おねいちゃんが幸せだと書くものだから、
私はやはり、はた、と考えていたのだと思う。
幸せか?という問いにいつも答えられずにいる。
それは私が幸せでないとはイコールにはならない。はずなのだ。
あと、その顔は美しいのか?という問いにも、私は一般的な答えしかできない。
そういうものの見方がない。顔を見て、美しいかどうか、判定できない。
でも、その人の喋り方を聞いて、その人が好きかどうかは分かる。
顔は基本的によく分からないのだと思う。けれど、雑誌などを立ち読みした時に、
ケイト・モスの広告があると、なぜだか安心した気持ちになるのは、
たぶん長年彼女の広告を見、何も考えずにただ通り過ぎたページを
幾分か愛おしく感じているからかもしれない。と思った。
あと、私にとっては、オードリー・マーニーもそんなモデルの一人かもしれない。
あんまり有名じゃないし、彼女の喋り方も知らないけど、
広告で本当にたまに見ると、安心する。

投稿者 aikopa : March 3, 2007 9:51 AM